Q市長になって約2年が経過した。

 町の人口減少は加速している。まもなく2万人を切るだろう。

 

 要因の一つは団塊の世代の減少である。

 

 その世代であった市政刷新ネットワーク代表だったXさん、W議員が相次いで亡くなった。

 2年前、市政刷新ネットワークの推す市長は落選し、市議選で市政刷新ネットワークは大敗した。W議員も落選組だ。XさんもW議員も、選挙後は支援者と一緒にSが悪い、市民が悪いと言い続けていた。

 そんなW議員が楽しみにしていたことがあるらしい。叙勲だ。市政刷新ネットワークの支援者の一人に元検察官という人がいる。検察官退職後、市政刷新ネットワークに参加して猛烈なS批判を展開した人だ。この人も恫喝裁判はY女史の全面勝訴・Sの全面敗訴と主張した(本当に元検察官なのだろうか。それとも弁護人と検察官とでは視点や発想が異なるのだろうか??)。そんな人だったが、検察官としての長年の勤務を讃えられ叙勲者となった。

 W議員は、自分もこの町の議員を長い事つとめたんだからと期待していたらしい。

 しかし、彼が期待していたことは起きなかった。それがわかって元気を失い車椅子生活になったそうだ。ご葬儀は市内の葬儀場で行われたが、この市の議員を長年つとめた人にしては寂しいものだったそうだ。二人とも肝心なことは何も言わずにこの世を去ったと言える。

 

 もう一つの要因は、市内企業の撤退である。

 

 まず、市内の工場のいくつかが撤退した。設備の老朽化などが理由とされている。

 ただ市民の間には異なる噂がある。たとえば加工食品のパッケージには生産場所として市の名称がプリントされる。そのことが企業イメージを損ねることを恐れたのではないかという話だ。それが本当かどうかは確認しようがない。だがそもそも財政破綻が噂される町に工場を置き続けることについて、企業が何らかの判断を下すことは当然である。そのことは市も市民も受け容れるしかない。

 工場が撤退するとそこに勤務していた人は新たな勤務地に引っ越してゆく。その中には、この町で生まれその工場に就職した人もいる。そういう人も新たな勤務地に引っ越していく。会社を辞めてこの町に残るという人はいない。

 

 次に、市にあったサッカーJ1チームの練習場が撤退した。

 練習場や選手寮などを備えた総合練習場が県庁所在地郊外に完成したのだ。このことは市の税収や観光の大きな資源を失っただけでなく、ユースチームの選手が在学していた普通科高校にとって痛手となった。この頃普通科高校の全校生徒は80人台まで減っていた。その半分近くがユースチームの選手だったのだ。

 

 このような状況だったが、人々の日常は極めて平穏だったと言える。

 Q市長は記者会見で国との相談状況について淡々と説明し続けた。

 「現状は、財政再生団体、つまりかつての夕張市のように破綻を宣告・申請すべき基準には達していない。だがその基準値にはかなり近い。論点は、生産人口の減少と自主財源の喪失が進みつつある状況で、自力再生・返済が可能なのかである」という。

 思ったより傷は深くはなかったが、治すには力不足ということだ。

 ならば、傷が深くなる前に破綻を申請し、夕張より短い期間・短い負担で再生を進めるということも考えられる。

 

 市民の多くは破綻と言う都合の悪い事実を受け入れていた。

 そして、その場しのぎの解決ではなく、この町を根本的に立て直すことを希望していた。