俺と妻とは、少し改まって父の前に座った。

 と言っても、父は就寝前の晩酌タイムであるが…。

 俺は脚本家として、妻はwebデザイナーとして一本立ちできそうな目途が立ったとまず伝えた。妻が神奈川県川崎市のオフィスのスタッフとして誘われていること、俺は自分の名前で作品を書いていけそうなことを伝え、夫婦で一度東京に戻ろうと思っていると伝えた。

 父は何となく察していたようだ。

 「一応聞いておきたいが、二人合わせて月どれくらいの収入になるんだ」

 「60~80万円くらいになると思う。ただ、妻は会社員なので定収入・ボーナス・福利厚生あり。俺はフリーランスなので、不定期収入、ボーナス・福利厚生なし。現実問題として都内には住めないと思うので、妻の会社の近く、具体的には川崎で家賃10万円くらい。自転車生活になる」

 「わかった。とりあえず10年東京で頑張ってこい。ただ、食えなくなっても援助はしない。その時は帰って来い。あとな、東京でうちのコメの顧客増やしてくれ。売り上げが増えたら何割かお前の取り分にしてやる」

 「山川さんには、俺からも挨拶しておくから。ただ、劇団はどうするんだ」

 俺は、早稲田の演劇サークルの後輩が地域おこし協力隊で間もなく赴任すること、彼女が指導をしてくれること、俺も月一回は戻ってきて指導するつもりであることを伝えた。そして、6月頃には東京生活をスタートさせると伝えた。

 「わかった。まず10年頑張って来い。10年経ったらさすがの山川さんももう議員ではないだろう。そしたらここに戻ってきて、ここで脚本書いてくれ。10年後、この町がなくなっていたとしても、うちの田んぼは守っておくから」

 

 その数日後、山川さんとの打ち合わせ後にお願いがあるのですがと切り出した。

 山川さんは少し驚いていたが、俺が自分の名前で脚本が書けそうだというと納得してくれたようだ。

 「そうかよかったな。そして市政刷新ネットワークが世話になったな。君のおかげでS市長を追い詰めることもできたし、市政刷新ネットワークも支持者を増やせた。あとはジジババが頑張らないとな。ところで3月の議会の質問原稿までは書いてくれ。6月は状況を見て判断しよう。なに、Sをこの町から追放して新しい市長になれば、質問はまた市役所職員に書いてもらえるしな」

 

 山川さんという人は、議員でなければきっと周囲から愛され、慕われる親分肌な人として幸福な人生を送れたに違いない。ただ、山川さんにもこの町にも不幸なことは、この人が市議会議員になったことだ。

 

 後日、父も山川さんに挨拶に赴いた。父はいろいろ覚悟をしていたが、山川さんはご機嫌で「息子さんには本当に世話になった。市政刷新ネットワークで送別会をしようとみんな言っている。その時はお父さんも来てください」と言ったそうだ。

 

 …だが、送別会どころではない騒ぎが間もなくおきる。