(前回からの続き)

 俺は、自分の進路を考える授業で母校の中学生に語り掛けた。

 

 この町で生まれた人間の未来は、大きく4つに分類できます。 

 

 ①この町で生まれて、この町で学んで、この町で働く人

 ②この町で生まれて、進学・就職で一度この町を離れて、この町に戻ってくる人

 ③この町で生まれて、進学・就職でこの町を離れて、

  この町ではない場所で暮らしながら、この町のための働く人

 ④この町で生まれて、進学・就職でこの町を離れて、

  この町ではない場所で暮らしながら、世界や日本のための働く人

 

 僕の父や姉は「①」です。この中学校から地元の農業高校に進んで、実家の家業である農家を継ぎました。旅行以外でこの町から出たことはないです。

 僕は「④」を目指しました。芸術鑑賞教室で演劇を見て、役者になりたいと思ったのです。そのために早稲田を目指しました。早稲田で英文学や演劇を学んで、卒業して売れない役者になりました。その時は、飢え死にしてもいいから役者で一生終わりたい、絶対この町には戻りたくないと思っていました。

 

 知っている人も多いと思いますが、市長のSさんもこの中学校の卒業生です。

 実は僕と同期です。ただ同じクラスになったことはなくて、しゃべったこともありません。一つだけ自慢させてもらうと、僕の中学の卒業成績は2番です。1番はS市長です。

 S市長は、県庁所在地の高校から京都大学、東京の銀行に進み、さらにアメリカ勤務もしました。偶然ですが、僕にはS市長と銀行で同期だったという友人がいます。友人が言うにはS市長は銀行でも優秀で、だからアメリカ勤務に選ばれたそうです。そしてアメリカでも立派に仕事をして、東京の本部に呼び戻されたそうです。

 たぶん、S市長も絶対にこの町には戻りたくないと思っていたでしょう。銀行で日本や世界のために働きたいと思っていたはずです。

 

 僕も市長も、なぜ絶対戻ってきたくないと思ったかわかりますか。

 

 東京ではどこで生まれたとか、どこの学校を出ているとか関係なく、僕個人の能力を公平に評価してくれました。無名の僕でも「良いものはよい」といって採用してくれます。ただ、早稲田大学を出ていても「ダメなものはダメ」と言われてオーディションに落ちることもあります。

 この町から外に出るとそういう厳しさがあります。でも、だから成長できるんですね。価値観も広がるし、善悪の区別もはっきりします。

 

 また、僕はみんなが知っているような役者さん、監督さんと一緒にお仕事する機会がありました。そこで「一流の人」とはどういう人が学ぶことができました。「本物」にたくさん触れることができたのです。

 たぶん、S市長も銀行員時代、一流の人、本物の仕事をしてきたと思います。

 

 少し嫌な言い方になるのですが、僕はこの町から離れる時「裏切り者」って言われました。戻ってきた時は「役者では食えなくなったらしい」って言われました。

 

 早稲田に入学した時、「よくいらっしゃいました。歓迎します。これから一緒にかんばりましょう」って言われました。

 東京を離れてこの町に戻る時「地元でも頑張ってね。そのうち遊びに行くから。あと時々東京にも来てね」って言われました。

 そして、本当に遊びに来てくれました。この町をテーマにした旅番組まで作ってくれました。その番組には大学の先輩が出演してくれました。

 一流の人ってそういう人なんです。そういう人と一緒に仕事ができるから、絶対に地元には戻りたくない、飢え死にしても東京で暮らそうと思っていました。

 

 一方で、一流の人を知ることもなく、本物の演劇に触れることもなくこの町で暮らしている人のことがとても心配になりました。しかも人口はどんどん減っているのに、市民会館とか道の駅とかお金のかかる大きな建物がどんどんできているのです。

 ひょっとして、ふるさとの町は何か大きな間違いを犯しているのではないか…、とても心配でした。

                      つづく…