70歳の老人が、「自分が身に付けている地元の農法を後世に残したい」と思う気持ちは尊いものだと俺は思う。

 後継者がいないのだから口承は無理だ。文章で残しても再現は難しい。そもそも、伝統農法では農家が食っていくだけの収穫・収入を得ることが難しい。だから後継者がいないのだ。

 だが、現代には「映像」がある。記録映像を撮って残すことができる。たとえば、必要な農具と一緒に農協の一角にコーナーを設置して展示すればよい。学校の探究学習・農業体験に加えることもできる。そうすれば、未来の子供たちが興味を持ってくれるかもしれないし、民俗学の研究者の興味を引く可能性もある。

 しかし、この気持ちが「田んぼアート事業」に発展した。田んぼアートも伝統農法の一つらしい。その田んぼアートをこの老人が作る。そのために、市の予算で土地を購入し、市の予算で土地を整備し、市の予算で田んぼアートを見るための展望台・公園・駐車場を作るというのである。

 その予算の中には「映画製作費用」も含まれている。

 総額で億単位の事業になっている。だがこの事業は確実に赤字だ。田んぼアートを鑑賞できる期間は1か月程度だ。公園・駐車場・展望台を有料にしても、収入は1か月分しかない。となるとまた数千万円の市の予算が、維持費・赤字補填として注ぎ込まれることは間違いない。映画を作ったとしても、それを興行収入で取り戻せる可能性も限りなく低い。

 この70歳の老人というのがXさんである。現在は市政刷新ネットワークの代表をつとめている。Xさんの意を受けて、これを市の事業に仕立て上げ、予算化するのがW議員と山川さんの役割だ。そして、この事業が市議会で承認を得た。

 

 Sの市長として任期が後半になると、「Sは市長としてどんな実績を挙げたのだ」という批判の声が出てきた。

 

 俺は、もしSが市長にならなかったら…と思うとゾッとする。

 Sが市長になる前の10年間で、「新しい市民会館の建設」「道の駅の設置」「田んぼアートと田んぼアート公園」という事業が立ち上がった。これらは現在市政刷新ネットワークに所属する人々と前々市長とが提案したものである。もちろん、反対する議員はいた。しかし、ここは市長を信じて進めましょうという感情論で議会を通過した。

 これは市政の私物化である。すべての事業とその尻拭いは市の税金になっている。

 さらに言えば、建設から管理に至るまで、W議員や山川さんがオーナーをつとめる企業が絡んでおり、そこに公金が流れていく。マッチポンプ式の利権構造がそこにある。

 

 もし、あの時Sが市長にならなければ、「もう一つ道の駅を作る」「古くなった公民館や市営住宅を建て替える」などさらなる新規事業が進んだだろう。廃線が噂されるJR路線存続のためと称して駅舎を新築する、駐車場を整備する、市の予算から赤字補填をするなどの話も、市政刷新ネットワークの会議で実際に出ている。

 そうなれば、確実に夕張市の二の舞ではないか。

 それを止めただけでも、S市長の功績だと俺は思う。

 Sは破綻に向かうこの町を確実に救ってくれたのだ。