それにしてもと俺は思う。

 恫喝裁判の判決が出た時、Y女史は記者会見を行っている。

 彼女はそこで「全面勝訴」を主張した。翌日の地元紙には、Y女史の主張がそのまま記事となって掲載されていた。全面勝訴という彼女の主張は「大本営発表」である。記者は、判決文を読んでいないのだろうか。それとも判決文を読んでも理解できなかったのだろうか。Y女史の主張を伝えるという体の記事であったとしても、その発言の裏を取る必要はあるはずだ。

 いずれにしても、「Y女史の全面勝訴」という記事は誤報なはずだ。

 それを記事にする記者の能力、編集部のリテラシーはどうなっているのか。

 

 その後、ネット上に恫喝裁判についての記事・動画があふれた。

 反市長派の主張はY女史の全面勝訴である。「裁判所は恫喝があったというS市長の主張を認めなかった」「市長の発言が虚偽であることを裁判所が認めた」「市長のせいで市は税金から30万円支払わなければならなくなった」の三題噺。

 これは、俺が市政刷新ネットワークのブログに書いた記事と同じだ。

 俺はそのブログに、判決文を画像として添付している。それを読めば、本当のことがわかるはずだが…。

 

 市長批判を展開する人に、元検察官とか元新聞記者とか…そういう人が増えてきた。そういう人は匿名のネット民ではない。実名で投稿している。

 するとネット上には「検察官だった人が全面勝訴と言っている」「市政刷新ネットワークのブログもそう書いている」「新聞もY女史の全面勝訴・市長の責任を追及とある」という言説が増えてきた。

 二次情報が伝聞によって拡散されている。デマが広がって世間が混乱する典型的なパターンだ。市政刷新ネットワークのプロパガンダとしては理想的である。ただし、こうした二次情報が伝聞として拡散していけば、この町は確実に滅ぶ。

 太平洋戦争の時、大本営発表は新聞・ラジオによって報道された。文化人の中にも大本営発表を信じ、戦争や軍部を讃えた人がいる。本当のことを知っている人も多かったはずだが、それを言葉にすると思想犯として逮捕された。

 だから…ネット上では議論があっても、この町で暮らす人の多くは口をつぐんでいる。自分の意見を言うのは反市長派のみと言ってよい。そして、「市政刷新ネットワークの支持者であることを表明すること」「大本営発表を讃えること」「市長を敵とみなして攻撃すること」だけが可視化されていく。

 

 反市長派の有識者がネット上でつながり、ライブや対談をすることもあった。動画で激烈な市長批判を繰り返すBさんの書いた記事が週刊誌に掲載される、小説家が市長批判の暴露本??を出版するということもあった。

 それぞれの主張には、市政刷新ネットワークのブログを根拠としている内容がある。書いている俺が言うから間違いないが、市政刷新ネットワークのブログは「大本営発表」であり「二次情報」である。それを根拠とした議論は意味がない。

 

 俺はSが言う「国語力」の重要性をしみじみと思う。

 ネット上の議論を見ると、「国語力のない人は、自分の国語力不足に気づくことができないという逆説」が見えてくる。

 国語力のない人は二次情報・伝聞・思い込みを根拠に主張を展開する。その間違いを指摘しても、何が間違っているんだと開き直るのが国語力のない人という逆説の連鎖が続く。

 市政刷新ネットワークの人々と同じだ。事実と解釈との区別がついていない。

 市政刷新ネットワークは「自分に都合の良い解釈」を根拠に市長批判をする。

 市長は「受け容れ難い事実」を根拠にこの町の課題解決を試みる。

 この差は大きい。