Y女史がSを訴えた「恫喝裁判」が進んでいる。

 ある日、山川さんと話していると「裁判所が和解勧告を示したんだ」と言った。

 それを聞いた俺は、弁護士となった友人と連絡を取った。文学部卒業後法学部に進み、司法浪人3年を経て、現在は都内にある中堅の弁護士事務所に所属している。

 友人とはかつて、司法浪人と売れない役者として励まし合った仲だ。

 

 指定された時間にZOOMを繋いだ。

 早速「お、話題の市長の町とつながった」と来た。話題の市長は中学の同期。同じクラスになったことはないけど、卒業成績はSが1番、俺は2番と返した。

 「すごいな。人口2万人の町の中学から、京大と早稲田に進学しているわけだろ。お前の町、実はすげー知的レベル高いんじゃないの」ときた。

 確かにそうだ。だが勉強ができる中学生は市外の高校に進む。市の予算と人事を握っているのは70歳以上の老人で、そいつらが市議会の過半数を占めている。

 

 早速裁判のことを聞くと、「あくまで一般論だぞ。訴状を読んだわけではないしな」と念を押された上で、こんな話となった。

 

 最初の論点は、「恫喝とされた発言があったか、なかったか」だ。

 音声データなどの物証でその発言があったと証明できれば、恫喝は認められる。発言した市議は初当選で、しかも市長・市議という関係で会話したのは初めてだろ。そこに信頼関係はまだない。信頼関係がない状況で「議会の言うこと聞きなさい。そうしないと議会で反対しますよ」を冗談だった、そういうつもりではなかったと言っても認められないはずだ。

 

 問題は、発言の物証がない場合だ。

 原告が「恫喝発言はない」ことを音声データで証明するなら、「ノーカット・ノー編集」であることが前提だ。

 被告が「恫喝発言があった」という場合は、その部分の音声データがあればよい。

 恫喝発言があったことが証明されれば、被告が有利だ。刑事案件なら原告が逮捕されるってのは言い過ぎだけど、そういうことだ。

 

 ただな…と友人は続ける、発言の有無ってのは水掛け論だ。今回の場合、ここが判決の根拠になることはないと思った方が現実的だ。

 論点は「Twitterに書いたこと、不特定多数が見るネットに書いたこと」になるという。

 

 無名市民が書いたなら問題ではないさ。Twitterってそういうものだしな。

 問題は、裁判所がそのTwitterを、「市長の公式Twitter」とみなした場合だ。そうなると「恫喝??」は名誉棄損と判断される可能性が高い。

 被告側も「恫喝があったこと」を証明できていないだろ。証明できない事実を恫喝と書くのは行き過ぎということだ。

 

                      つづく…