市政刷新ネットワークに、新たな支援者が増えた。

 元検察官、小説家、三大新聞の記者、旧帝大と言われる難関大学から大手企業に進み定年退職して悠々自適という人などである。

 もちろん、それぞれ偏差値の高い大学を出て、社会的な地位の高い職業を定年まで全うしている。

 世間的には「有識者」と言われる人々である。叙勲受章者もいる。

 そういう人が、俺がゴーストライトしている市政刷新ネットワークの主張を信じている…。

 

 検察官とは事実と法に基づいた客観的判断をする仕事ではないのか。

 新聞記者というのは現場に足を運び、直接取材対象に会ってから記事を書くものではないのか。

 なぜ小説家がゴーストライターが書いていること、その内容が創作であることを見抜けないのか。

 

 マスコミの報道によって、俺の町の知名度は全国規模になりつつある。東京から取材チームが来て、市民にインタビューすることも増えた。番組の構図は、居眠り議員(悪)と若き市長(善)だ。

 すると市民の中に、「町の恥を全国に晒さないで欲しい」という声が出始めた。

 「お前、居眠り議員が無印出店を否決した町の出身なのか」と言われるらしい。

 

 マスコミも「居眠り議員や市議会が悪」という言葉を市民から引き出そうとしている。田舎は集団監視社会だ。声を変えようがモザイクをかけようが、それが誰かはわかる。どのような発言をしたかはネットより早く広まる。インタビューを受けた市民の多くは口をつぐむ。

 ほどなくして、あの町の出身なのかと言われること、マスコミが執拗に市民を追いかけること、それらがすべて「S市長のせい」ということになってきた。

 「S市長がもっと根回しをして、議員さんに賛成してくれるようにお願いしておけば無印がこの町に来たのに」「居眠りくらい国会議員だってしているのに、Sが大きな声で…」という声も大きくなってきた。

 

 違う。

 問題なのは、「あの町の出身なのか」と発言する人の人格であり、「市議会を悪と認めさせるコメント」を市民から引き出そうとするマスコミのリテラシーだ。 

 知性の番人である有識者は、こうした現状をリテラシーという論点でまとめ、マスコミに投げかけるべきではないか。それが悪い意味での注目から市民を守る行動のはずだ。しかし、その彼らが「S市長の議会運営能力、人間性の問題だ」と主張している。

 その主張に基づくなら、よい市長とは「議会での居眠りを許容し、市役所職員に質問原稿を書かせ、議員の支持者十数人の健康維持のために十数億円でプールを作る人」になってしまうではないか。 

 彼らはS市長を「ポピュリスト」と断じている。その施策はポピュリズムであるとも主張している。

 

 どちらが…。