市政刷新ネットワークの代表質問は2つ、「市の災害対策について」「2人目の副市長の公募について」だ。しかし、議員に代表質問の原稿を書く能力は…ない。どちらも俺が原稿を書き、どちらも前回の選挙で初当選した議員が質問に立った。要するに「鉄砲玉」だ。その様子を、議場の後方に座ったベテラン議員がじっと見ている。
俺はその様子をyoutubeの生配信で見ていた。ゴーストライターの俺が議会を傍聴するわけにはいかない。
Sは歯切れよく、論理的に答弁していた。1年生議員の女性も、70歳を越えて初立候補・初当選したRさんも、全く歯が立たない。そして、市長に明快に否定されると、女性もRさんも感情的になって持論を展開し始める。議会の代表質問とは言えない。議論でも災害対策でもない。非建設的感情論の押し付けである。
ただ、それを見て気づいた。Sの答弁には隙が無い。そういう「論理的正しさ」は、時に人を怒らせることがある。
そして、論理的な正しさに怒る人には感情論の方が届く。
「市民のリーダーである市長が、台風が近づいている時、プライベートを優先してトライアスロン大会に参加したことは許せない」
「大事な副市長をネットで公募するのは、ネットやパソコン、スマホを持たない人にとっての差別だ。平等・公平の原則に反するものだ」という(よくわからない)感情論の方が、人々の共感を呼ぶのだ。
採決の対象になるのは、2人目の副市長の公募案だ。
転職サイトなどを使うので、その分の予算が必要だからだ。
採決の結果、賛成6:反対5で、副市長公募案は通った。
市政刷新ネットワークに参加した議員は6名いる。ただ、その中から1人が議長になっている。議長には投票権がない。
市議会が終わると、市民からこんな言葉が届いた。
「市長の言っていることは正しいかもしらんが、言い方が気に食わん」
「市長の言っていることは難しくてよくわからん。それ比べて、議員の話はよくわかる。これからも頑張って欲しい」
個人的には理想である。
市政刷新ネットワークの(よくわからない)感情論は支持を得つつも、S市長の施策は通る。俺の仕事とふるさとの町の希望ある未来が両立するではないか。
論理的な正しさや今の時代の当たり前を理解するには、知的な経験と教養とが必要だ。したがって市長としてのSの言葉や考え方を理解できる人は限られる。
その「限られた人」の意見で市政は進みつつ、刷新ネットワークの議員の時代遅れの発想で不満を持つ市民のガス抜きをする。
これなら、俺の良心はあまり痛まない。少しホッとした。