市議会が始まった。

 「市の災害対策について」という名目になっているが、中身はS市長に対する個人攻撃に過ぎない議案も取り上げられる。

 台風接近に対し、金曜日までに対策本部を立ち上げ、土日は関係職員が市役所で待機している。月曜日からは市長も市役所で待機している。台風は、月曜日の深夜から火曜日の朝にかけて市の上空近くを通過した。そして、被害がないことを確認して火曜日の夕方に対策本部は解散している。

 

 その中、Sは、日曜日に県外で実施されたトライアスロン大会に参加していた。ただ、参加は日帰りだったし、携帯電話があれば連絡は取れる。トライアスロンは1日かかるものというイメージがあったが、その大会はミニ・トライアスロンと言えるもので、1時間以内にゴールするようなものらしい。

 俺が思うに、Sは土曜日まで天気予報を見て、台風接近は月曜日深夜以降であること確認して参加を決めたのはずだ。もし台風が速度を上げて日曜日に接近するなら市役所内の本部にいただろう。答弁でもそんな意味のことを言っていた。

 というわけで、Sは市長としての責務は果たしている。これに対し、「市民のリーダーである市長として無責任だ、反省せよ、責任を取れ」というのが市政刷新ネットワークの主張となる。こういう(わけわかんない)主張は感情に訴えるしかない。1年生議員の女性に質問に立ってもらい「台風が接近しているにも関わらず、市を離れ、市民を不安に陥れた」という感情論を展開した(もちろん、市民は日曜日に市長がトライアスロン大会に参加したことを知らないし、不安にもなっていない。そもそも日曜日は曇天で雨さえ降っていない)。

 

 質問書を作りながら気づいたことがある。

 Sが市長として行っていることは実にまともで、今の時代の動きや価値観をつかんだものだ。人口減少に対する国の施策にも対応している。ただし、一定以上の知的レベルの人でないとSの施策は理解できないだろう。したがって、その内容をかみ砕いて市民に説明するのが市議会議員の役割と言える。そういうことができる議員はいる。そういう議員は自ら市政説明会などを主催して市民との対話を実践している。

 

 一方、市政刷新ネットワークの議員はS市長の施策を理解する知的レベルにない。1970年代安保とバブルの価値観に染まっていて、自分の事業と後援者への利権誘導が「市民のため」と本気で思い込んでいる。そして残念なことだが、市政刷新ネットワークの議員を支持する市民も多い。俺のふるさとの町の知的レベルはそういうことなのだ。

 とすると、俺が書く市政刷新ネットワークのための質問書は、そういう人たちが持つ古い価値観に沿った感情論が効果的ということになる。感情論でS市長を叩き、古い価値観を持つ人の感情的共感を集めればよい。それを反市長的な世論として市内に広げていくことが市政刷新ネットワークの望みなのだ。

 

 S市長は、どんな時でもリーダーとして先頭に立ち、市役所から離れることなく、その職責を果たせと言い続ければよい。まだ30代で若いんだから目上の人の言うことに素直に従い、お年寄りを大事にしろという道徳論を説けばよい。そうすれば、我が町のボリュームゾーンが市政刷新ネットワークの支持者になるだろう。

 

 市政刷新ネットワークのゴーストライターとして俺の役割がわかってきた。

 市長の施策の正しさが理解できないレベルの人に、反市長的感情を喚起することだ。

(ただ、市長の施策の正しさが理解できる知的レベルにある人は、黙ってこの町から離れていくだろう)