故郷の町に戻って4年目。俺は35歳になった。

 地域おこし協力隊の任期が終わって、新年度から地元の観光協会の嘱託職員となった。給料は地域おこし協力隊と同じだが、副業もできる、今まで通り市民会館の業務もできる。

 観光協会ではHPの制作や管理など、お年寄りには苦手な業務が中心だ。PRビデオの制作は俺の副業として今まで通りの制作料を貰っている。ビデオ制作の依頼が増えてきて、自宅に戻ると編集作業をすることが増えてきた。小中学校の合唱コンクールや吹奏楽部の演奏会などを数台のカメラで撮影しDVDにする。市民合唱団や、市民劇団の本番もDVDにした。こちらは実費のみ頂戴するがとても楽しい。

 高校時代、放送部で経験したことがここで役に立つとは思わなった。

 

 世事に疎い俺だが、徐々にこの町のからくりが見えてきた。

 まず、俺の給与だ。観光協会の仕事はどこからみても儲かる要素がない。観光協会はどうやって俺の給与分の収入を得ているのだろうか? 

 

 観光協会は、いわゆる第三セクターだ。市から委託を受け、予算を貰って運営している。これとは別に、PRビデオの制作は市からの委託事業として請負い、事業費として市からお金をもらっている。

 つまり、俺の給与は市から観光協会に注ぎ込まれる年額2,400万円の予算から出ているということだ。これとは別に、PRビデオ制作費用・謝金は委託事業費から支払われている。

 なるほど…、俺は観光協会の職員になるとPRビデオの制作は給与に含まれると思っていた。しかし、「製作費は給与と別。今までどおり支払うよ」と言われ、そのことに感謝もしていた。だが、それは観光協会が支払うものではなかったということだ。市から業務委託を受け費用も貰っているわけだから、観光協会は1円も使っていない。それどころか中抜きも可能である。

 さらに言えば、観光協会は儲からなくてもよい。給与も運営費も事業費も、すべて市の予算・税金で賄うというビジネスモデルになっている。観光協会のチラシやポスターなどの印刷は地元業者への発注で、その相場は東京より高かった。

 

 そうか、市役所の発注だと「競争入札」になるので費用は抑えることが必要だ。しかし、市役所から第三セクターに委託された事業の場合、第三セクターが使う業者は随意契約でよい。価格は言いなりか談合である。

 こうして「観光協会についた市の予算は、観光協会というフィルターを経て市内の企業に分配される」のだ。これが田舎のビジネス。公金チューチューそのもの。

 

 それにしても…、市の年間予算約20億円のうち、自主財源は20%もない。

 東京など自主財源率の高い地域の人の納めた税金が、補助金・交付金として地方に分配されて、自主財源率の低い地域を支えているといことだ。俺が東京時代に納めていた税金も、まわりまわってふるさとの町で使われていたと考えてもよい。ただ、そのお金の使い方はこれでよいのか??

 田舎の人は、学校の先生や役所の人に「税金で食っているくせに」とよく言う。しかし、そういうあなたの収入も元々は税金だ。田舎はみんな「税金で食っている」のだ。その税金を差配しているのが市会議員だ。

 

 そうか…、俺は地元に戻る時、雇用を求めた。しかし、市役所の職員である文化会館の館長や教育長は、俺の求めをはぐらかした。それは、田舎人の無理解と思っていたがそうではないようだ。

 この町の人事と予算は「市議会議員」が握っているのだ。だから、館長も教育長も黙っていたのだ。

 だが、元市会議員であった父から、現役の市会議員である山川さんに俺の話が伝わると、俺の雇用はすぐに決まった。その俺の給与や観光協会がらみの業務の謝金は、すべて税金と言ってよい。 

 俺は、市会議員の権力と税金の恩恵を受けてここで暮らしているようだ…。

 

 忸怩たる思いが沸いた。どんなに生活が苦しくても東京にいた方がよかったかもしれない。東京時代の俺は、自分の能力とスキルとで収入を得ていた。

 しかし、今の俺は権力と税金の恩恵で食っている。自主財源は、ゴーストライターの稼ぎくらいだ。

 「S」は旧財閥系の銀行に入り、海外勤務をしている。年収は1,000万円をこえているらしい。それは、Sの才能と努力によるものだろう。

 

 差がついたな…と思った。