31歳で地元に戻った。

 身分は地域おこし協力隊で、所属は文化会館の職員。ミッションは会館の運営・市民劇団の立ち上げなどを通して町の文化活動を活性化させること。

 

 田植えの季節が終わった頃から、俺は地元の小中高校を巡った。

 音楽の先生や吹奏楽部の生徒さんのために、照明のワークショップをしようと思った。今まで体育館で行っていた吹奏楽部の演奏会や合唱コンクールを会館で行ってもらうための営業である。ちゃんとした会場でやることが大事だ。少し響きすぎるけど…。

 美術の先生に、美術部の生徒さん作品展示のお誘いもした。

 何もないロビーに美術作品を置いて無料開放するのだ。美術の先生の個展開催や、ワークショップ開催もOKである。

 

 市民合唱団のコンサートでは、ワークショップに参加してくれた中高生が照明を担当してくれた。ロビーに高校生の作品が展示してあるのを見て、老人会の書道・茶道などのサークルも展示を希望してきた。大歓迎である。

 

 秋には自衛隊の音楽隊を招いて、中高吹奏楽部のレッスン会と市民のためのコンサートを開催した。自衛隊の音楽隊はこういう活動を「任務」としているので謝礼が発生しない。予算のない文化会館にはありがたいことで、コンサートも大いに盛り上がった。

 

 東京の仕事は少しずつ減らしていった。しかし、地域おこし協力隊の任期は最大3年である。万が一のことを考え続けられるものは続けた。特に脚本は、地元に居ても書ける。スカイプやGoogleを使ったテレビ電話で打ち合わせもできるし、原稿はメールでやり取りもできる。地域おこし協力隊は副業OKだ。

 冬前、東京の部屋を畳んで家賃や水道光熱費から解放された。

 地域おこし協力隊の月給・脚本書きの稼ぎを足すと、手元に残るお金は東京の貧乏時代よりも増えた。

 

 翌年、地元に観光協会ができると、地元をPRするビデオの作成の依頼が来た。

 そんなこんなで、地元に根ざしたお仕事がいろいろ入ってくるようになった。

 東京での暮らしに未練がないわけではない。しかし、地元に戻ってきたことに間違いはなかったようだ。