ふるさとの町に新しくできた文化会館の運営を手伝うことにした。

 ただ、東京での仕事は続ける。月に1~2回東京から通う。

 往復費用は支給されたが泊りは実家、飯は自腹。本当に「手伝い」である。

 ただ、演劇ワークショップの体験講座には、大人から子供までたくさんの人が参加してくれた。大人(というかお年寄り)の中には健康教室のような意識の人もいたが、中高生の中には演劇に興味を持って参加してくれる人もいた。かつての俺がそうだったように、先日のハムレットを見て何かを感じてくれたのだ。

 毎回参加してくれる中高生を見ていると、手伝いでも良いかと思う。実家と東京の二拠点生活というのも悪くない。

 

 やがて、ワークショップに参加してくれる中高生から劇団を作って欲しいという声が挙がったらしい。地元の学校には演劇部がない。そもそも指導できる先生もいない。

 であれば、先日結成された市民合唱団に続き、市民劇団をとなるのも自然の流れだ。大人中心の合唱団に対し、小中高生中心の劇団にするもの悪くない。

 

 本音を言えば、30歳になって役者としての先が見えた俺は、地元に戻って中高生と一緒に演劇ができればという思いが強くなっていた。先日、地元で舞台に立てたこと、その演目が俺が演劇に目覚めたハムレットだったことも、終わりの暗示のような気がしていた。そろそろ東京での暮らしにケリをつける時かもしれない。

 

 そんな時、館長と教育長に呼ばれ、新年度から会館の運営、劇団の指導をしてくれないかと頼まれた。

 うれしかった。早稲田で演劇と言う夢に続く、新しい夢ができたような気がした。

 俺は、地元に戻ってこの町に文化の種をまき、劇団の指導をしようと本気で思った。演技から裏方まで便利屋として身に付けた知識や経験は、指導者としてはアドバンテージになるはずだ。

 俺は承諾の返事をした。ただし、条件を出した。

 「職員としての雇用」か、「指導者・アドバイザーとしての契約」か、どちらかをきちんと書面で交わしたいと伝えた。

 本気で文化の育成を考えているならば、人を使う・人を招くことにきちんとした契約・対価を示すことがあたりまえであることを伝えることが最初の仕事だと思った。

 田舎のなあなあの人間関係を根拠とした口約束では、本物の文化は根付かないのだ。

 

 その夜、中高生対象の演劇ワークショップを終えて実家に戻ると父に呼ばれた。

 館長から父に連絡があったらしい。

 館長は、父からも俺を説得して欲しいと伝えたらしい。俺が出した条件は少し難しい。こちらに戻ってくる回数が増えても今までとおり交通費は出すから、今までとおり手伝って欲しいというのだ。