気が付くと、俺は30歳になっていた。
役者として芽が出たとは言えない。
芝居に目覚めるきっかけとなったシェイクスピア作品に出たこともない。
テレビか映画に出ること、舞台に立つことは年に数回程度あり、役者の仕事は続いている。それなりの収入もあって生活に困ることもない。しかし、収入の多くは「裏方」によるものだ。
友人が主催する劇団の舞台監督や、脚本家になった演劇サークルの先輩の工房でゴーストライターをすることが増えてきた。
ちなみに、初めてのテレビ出演となったした深夜ドラマはDVD化され、現在はネット配信もされている。主演したアイドルの人気の賜物である。その出演料は微々たるものだが継続的に入ってくる。これがとても助かる。
ひょっとすると潮時なのかもしれないと思う。
もちろん、俺はどんな形であれ芝居・舞台に関わることができればそれが本望だ。
そのためには東京で暮らすことが必要だ。
だが、ひょっとすると今が俺の演劇人生のピークかもしれない。
オーディション会場に行くと、俺が最年長になっていることが増えてきた。求められる役と年齢が合わなくなってきたのだ。と言ってもう少し年長の役だとその年齢にふさわしい雰囲気や演技の深さが俺には足りない。俺も脚本を書く側だからそのことが痛いほどわかる。プロデューサーや監督の視線も厳しい。
舞台もそうだ。演技だけではなく、俺が苦手な歌やダンスも求められる。
心のどこかに「実家という逃げ道」があったのかもしれない。
暮らせるほどの収入があったこともよくなかったのかもしれない。
役者として自分を追い込み、磨くべき時にそういう努力をしなかったのだろう。
だから、役者兼裏方という便利屋から抜けきれなかったのだ。
しかし、便利屋でなければテレビ・映画・舞台に出ることはできなかった。
工房のゴーストライターでなければ、食っていけなかった。
演劇サークルの同期には、俺より食えない奴も少なくない。
しかし、文学部の同期はみんな一流企業で働き、俺の倍以上の収入を得ている。
早稲田だもんな…。
そんな時、文学部の同期で旧財閥系の金融機関に就職した友人から「S」の名前を聞いた。出身地が同じだけど知り合い?と聞かれ、同じ中学だったと答えた。
Sは、京都大学から、旧財閥系の金融機関に就職したらしい。
友人は、Sと新人研修で同じグループだったと言う。