早稲田大学の入学式が終わると、俺は演劇サークルに入った。

 見学に行った日、高田馬場の居酒屋に誘われた。東京ハイになっていた俺は喜んでついていき、そのまま部員となった。

 だが、喜んでばかりはいられなかった。

 

 最初の数か月間、新入部員には「訓練」がある。言葉でしか知らなかったエチュードやインプロなどのトレーニングである。部員募集には「未経験者歓迎」とあったが、訓練期間経て最終的な入部意思を示した同期で、未経験者は俺だけだった。俺以外の1年生はみんな中学・高校時代に演劇部に所属している。その中には全国大会まで進んだ者も多く、演劇を通じて高校時代から知り合いとか、高校演劇界の有名人という者もいた。

 だからと言って、そういう経歴を鼻にかけることもなく、未経験者の俺にアドバイスをくれたり、居残り練習につきあってくれたりした。できるやつほど謙虚で普段は目立たない。しかし、役に入るとまばゆいばかりのオーラを放つ。ああ、これが本物なのだなと思った。

 

 1年生公演の脚本を書いたヤツもすごかった。

 俺は脚本書きには少し自信があった。高校の放送部でオリジナルテレビドラマの脚本・編集をして、その作品で全国大会に出ていたのだ。しかし、放送部の作品は時間にして8分程度のもの。演劇作品は最低でも60分である。俺にそんな筆力はなかった。

 

 東京都内の私立高校出身の同期は、高校時代にシェイクスピアに関する論文を書いていた。その高校では、高校3年生の時「卒業論文」を書くことになっていて、その時、シェイクスピア論を書いたというのだ。その論文を読ませてもらった。すばらしかった、そして打ちのめされた。

 

 俺の卒業した高校は、地元ではトップ進学校と言われている。そこではより偏差値の高い大学を目指すことが尊ばれ、高校3年生の授業の半分は受験対策に費やされていた。その頃、東京の私立高校では卒業論文の作成があり、そこでシェイクスピア論を書いて、一般入試で早稲田に進んでくるのだ。

 

 高校時代までに演劇の基礎を身に付け、シェイクスピア論を通じて自分の演劇理論を確立し、それを大学で実践しようとしている同期がいる。そんなすごい奴が「俺の高校は自称進学校でバカばっかりだ」という。東京都内の偏差値序列でいえば5番目以下だというのだ…。

 

 大学というのは、そこから演劇を始める場ではないようだ。

 高校までに技術を身に付け、そこで選ばれた者が舞台に立つのが大学という場らしい。高校時代にシェイクスピア論を書いた同期が、将来は英文専攻に進みシェイクスピア作品の翻訳の研究をしたいと楽しそうに語ると、そこから先輩や同期と演劇や翻訳についての議論が始まる。俺はそんな議論についていけない。

 

 俺は、早稲田に入った段階で人生の目的を半分果たし、燃え尽きつつあったのかもしれない。