高校には演劇部があった。

 田舎町の高校にはないものだ。

 仮入部期間というものがあって、見学に行くと、演劇部には裏方専門の部員がいることを知った。大道具、小道具、衣装、照明、脚本などの専属係がある。彼らは舞台に立って演技することはない。

 男子校なので既存の作品を取り上げることはない。女子高の演劇部に「男役」がいても違和感はないが、男子校の演劇部で「女性役」を立ててロミオとジュリエットを演るとコメディになってしまう。そんなわけで、部内には「脚本・演出係」があってオリジナル作品を創っていた。

 先輩たちは、5月の公演に向けて毎日準備をしていた。土日も登校し、平日も下校時間ギリギリまで練習や作業が続く。その姿は活気に満ちていて、ああ俺も一緒に何かしたいと強く思った。一方で、この人たちはいつ勉強し、本を読んだり、芝居を観に行くのかと思った。せっかく田舎町を出て県庁所在地で暮らしているのだ。本も読みたい、芝居も観たい、映画やライブにも行きたい。しかし演劇部に入ると、学校と下宿の往復だけで3年間終わるのではないかと危惧した。

 

 いろいろ考えて、俺は放送部に入った。

 放送部はアナウンス原稿を読むだけでない。放送コンテストには「オリジナルドラマ」などの部門もあって、映像作品の創作もできる。

 やろうと思えば、自分が企画・監督・脚本・編集・主演のオリジナル作品を創ることもできる。役者も裏方も体験できるし、発声の基礎も身に付けることができる。さらに言えば、活動時間はかなり自由裁量の部分が多く、これなら読書や鑑賞の時間も確保できそうだ。

 3年間、NHKの放送コンテストに参加し、小説の朗読で2回県大会に進み、3年生の時、オリジナルテレビドラマ部門で全国大会に進んだ。役者になりたい、芝居をしたいという気持ちは変わらなかったが、脚本を書いたり映像を編集する方が自分に向いているかもしれないとも思った。 

 東京で行われた全国大会の自由時間に、初めて早稲田大学に足を運んだ。

 合格したいと心の底から思った。

 全国大会から帰宅すると勉強に切り替えた。

 2月、早稲田から合格通知が届いた。

 3月、卒業式を終え、実家に戻り中学の時の担任に早稲田大学合格の報告をした。

 とても喜んでくれた。

 

 その時、俺はSのその後を知った。

 Sは、京都大学に合格していた。

 県庁所在地3番手の新設高校から初めての旧帝大合格者である。

 一応、県下ではトップ進学校の俺の高校からだって、東大・京大に進むのは上位中の上位に限られる。それを3番手高校から成し遂げたのだ。