俺が中学2年生の冬に、市議会議員選挙があった。
驚いたのは、父が市議会議員に立候補したことだ。
代々の専業農家で広大な土地を所有し、それなりの稼ぎもあることから、農協関連の役職に就いていることは知っていた。しかし、父から政治の話とか、この町の未来のことなんか聞いたことがない。
12人の市議会議員のほとんどは60歳以上である。地元の自営業の人、役場で部長くらいまで出世した人が、最後に「議員」という名誉職に就くというのがその実態。
「末は博士か大臣か」という古い言葉がある。この大臣が「市議会議員」ということ。政治家としての能力ではなく、立身出世のゴールが市議会議員なのである。
そして、市議会議員になれば市の予算編成に口を出せる。自分の事業に市の予算をあてること、補助金を引っ張ってくることもできる。そうやって自分の事業を大きくするのだ。
当選し、市議会議員になった父は俺にこんなことを言った。
「農業は姉に継がせることも考えている。お前が勉強したい、大学行きたいならそれも認めよう。ただ、家は長男のお前が継ぐんだ。大学を卒業したら地元に戻ってJAか市役所か、どちらかに就職しろ。そこなら絶対入れるから」
市議会議員になると、そんなこともできるようである。
ただ、おかげで県庁所在地の高校を受験すること、大学まで進学することは認められたと言ってよい。中学3年生の時の担任の先生の理解と、父が議員になったことがなければ、俺は地元の農業高校に進むしかなかったわけで、このことは感謝している。
今の俺には、なぜ突然、父が市議会議員に立候補したのかがわかる。
父は、立候補させられたのだ。
選挙には金がかかる。資金不足で立候補を断念した現職の代わりに、代々の専業農家で経済的に余裕がある父に「順番」が回ってきたのだ。
祖父母もまだ現役でコメ作りに参加していたこと、姉が農業高校を卒業する年で、そのまま家業を手伝うことが決まっていたこと、母が専業主婦であること、さらに言えば母は商業高校の出身で簿記ができ、結婚前はJAで経理事務もやっていたので、選挙事務所の会計責任者もできること…。そんなわけで、父に白羽の矢が立ったようだ。
田舎町の選挙は400票も集めれば当選できる。余裕をみて500票。
つまり、500票×5,000円=250万円で市議会議員という称号が手に入る。
長男の就職先も地元に確保できる。
高校を卒業する姉によい縁談が持ち込まれるかもしれない。
そんな風に説得したのだと思う。
父に立候補を持ちかけてきたのは現役の市議会議員のひとりで、祖父母が親しくしている人だ。断ることは難しい。
そんなわけで、ある日突然、父の顔が印刷されたポスターが市内に貼られ、それまで町の発展や人々の幸福なんてことを一言も口にしなかった人が、マイクを持って「みなさんのために働きます」と言い出した。
虫唾が走った。そして俺は生徒会室にこもってひたすら勉強した。
早稲田に行くんだ。役者になるんだ。
生徒会室の窓からグランドを見ると、陸上部のSがひたすら走っていた