中学2年生になった時、俺は生徒会に参加した。

 小学校からの親友が、生徒会副会長になったのだ。親友に誘われて俺は生徒会執行部の一員となった。

 生徒会長・副会長は「生徒会選挙」で選ばれる。一方で執行部に入るのは希望性である。親友は、将来生徒会長になりたい、そのために力を貸してくれと言ってきた。

 全校集会での演説の原稿は俺が書いた。シェイクスピアの言葉を引用した演説は絶賛され副会長選挙に勝利した。その勢いのまま翌年の生徒会選挙でも勝利して親友は生徒会長になった。

 

 中学時代、放課後は生徒会室にいた。親友のための原稿を書いたり、自習したりが日課になった。俺以外は部活動にも参加していたので、放課後の生徒会室はほぼ俺の部屋だった。3階の窓からグランドを見るとSが走っていた。

 

 中学3年生になると、高校受験の準備が始まる

 父は、学校の勉強なんかしても何の役にも立たないという人である。姉もそれに近く、勉強より農作業の方が好きで、父の母校である地元の農業高校に進んだ。農家である我が家を継ぐなら姉の方が適している。

 しかし、長男は俺である。父は俺が地元の農業高校に進むと思っている。

 一方で、俺の成績がよいことはわかっていて、そのことを周囲から言われると嬉しそうであり、ちょっと自慢でもあるようだ。農作業の手伝いを全然しない俺がそのことを咎められることがなかったのは、成績がよかったことと、末っ子の長男という甘やかされやすい状況とが重なったからかもしれない。

 

 中学でも図書室で借りた本を読んでいた。田舎の我が町には本屋がない。

 小学生向きではないシェイクスピアを読み、ドストエフスキーなどのロシア文学にもはまった。

 図書館の先生に、日本にシェイクスピアを紹介したのは坪内逍遥だと教えてもらったのもこの頃だ。そして俺は早稲田大学に行きたいと思った。

 早稲田の一文に入って演劇サークルに参加する。

 しかし、そんなことを言える相手は近くにいなかった。

 そもそも、俺の町から早稲田大学に進んだという人もいなかった。