パワハラは許されるものではない。

 ただし、パワハラを構造的に見直すと、パワハラが起きやすい組織・人間関係というものがあることに気づく。

 たとえば、不正な既得権益を守ろうとする議会(市政刷新ネットワーク)と、それを是正しようとする市長(S市長)という関係性である。

 

 既得権益を守るために議会が市長を追放しようと考えると、まず市長に対するネガティブキャンペーンが始まる。効果は大きく2つある。

 ・既得権益に内在する不正から市民やマスコミの目を逸らすことができる。

 ・市長が孤立する。

 

 ネガティブキャンペーンによって「市長・悪vs議会・善」という構図ができたところで、鉄砲玉議員(Y女史、R議員)による挑発が始まる。そこで市長が挑発に乗れば、市長(加害者)と鉄砲玉議員(被害者)とがパワハラの当事者ということになる。この段階でパワハラ市長というイメージを市民に植え付けるのだ。

 

 世の中には「作られたパワハラ」がある(ハラスメントハラスメントと言う)。

 作られたパワハラの背景には黒幕がいる。

 「市長を追い込むためのシナリオを書いたヤツ」である。

 しかし、善悪という単純な構図しか見えない人には、黒幕が見えない。

 また、マスコミが「善悪という単純な構図」で報道した場合、(その意図はなくても)議会が作った「パワハラ市長」というネガティブキャンペーンを肯定・拡散することになる。

 

 この段階で多くの人々は正常な判断力を失ってしまう。

 市民もマスコミも「自分が正義の側の人間」でありたいと思っている。

 そのスタンスを維持するためには議会側の支持者になることが必要だ。

 この段階で、「なぜ議会は市長を挑発するのか」という問いはかき消されてしまう。そういう問いを発すると「市長の味方をするのか、パワハラを肯定するのか」という声が飛んでくるからだ。

 

 パワハラが作られるのは、既得権益に内在する不正を是正しようとして市長がその権限を行使しようとする瞬間だ。その時、既得権側の議員は、市長を意図的に挑発する。市長が挑発に乗ればそこで騒げばよい。挑発に乗ってこなくても「権限を行使したことは強権発動だ・議会軽視だ・パワハラだ」と騒げばよい。

 火のない所に煙を立てれば、既得権側にいる市民が騒ぎ出し、マスコミが油を注ぎ、何も知らない市民はそれを信じてしまう。こうしてフィクションは既成事実となって拡散する。

 

 念のため、俺はパワハラを肯定していない。悪意を持った相手であってもその挑発に乗ってしまえばダメだ。

 重要なのは、「何のために市長を挑発したのか」を追求することだ。

 挑発した側(市政刷新ネットワーク)に悪意と不正とがある場合、それを放置することは既得権益を野放しにすることになる。既得権側の議員が多数決を支配した議会は、一部の市民の利益のための機関になってしまう。

 

 「アンチと信者という単純な構図」での挑発合戦もそろそろにした方がよい。

 アンチと信者という単純な構図による対立がフォーカスされると、既得権益の不正への追求が進まないのだ。アンチと信者の対立は、(市政刷新ネットワークが持つ)既得権益の不正を隠匿するという効果を持っている。

 既得権側・アンチ側が挑発を続けるのはそのためだ。アンチと信者との対立が盛り上がれば盛り上げるほど、「既得権側の不正から世間の目をそらすこと」になっていないか確認して欲しい。

 

 作られたパワハラには、そういう面がある。

 そのシナリオを書いた人間からの忠告である。