葬儀のときは、親族が集まる。
孫世代の目から見ると、誰なのかわからない親戚はたくさんいる。(親世代から見てもよくわからなかったりすることもあるらしい)
話の中で「あの人は誰なの?」みたいな話になると、結構遠くの親戚だったりして系譜の話になったりする。
さてさて、今回、父方の祖母が亡くなりそちらの系譜?みたいなものがうっすらとわかりました。
この年になると?
関係ないかな?
私だけかもしれませんが、なんとなく自分のルーツみたいなものが気になるようにってほどじゃないけれど、興味が湧いてくる。
今回、それがちょっとだけわかったので書いとこう。
え?
お前のルーツなんて興味ないって?
まあ、そんなこと言わずに。
なかなかロマンある話なので。
私の父方は大阪の人間なのですが、どうやら本家は徳島で、分家?として商売をしに、おそらく明治時代に大阪に出てきたらしい。
本家とか分家とか、そういう概念すらもはやあんまりないですよね。
まあとにかく、徳島にルーツはあると。
これは確定の話。
ここからは妄想と伝承と、史実の話。
さてさて、ときは遡り戦国時代、武田信顕という人物が、三好家の取り計らいにより徳島の脇城というお城の城主となったそうな。
信顕
信玄
信の字がかぶる。
この信顕は信玄の異母兄弟という伝承があるらしい。
その後、信顕は長宗我部に討たれるも、子孫は阿波に土着したという。
…なんか、ロマンある。
そもそも「武田」という苗字は源義家の弟の義光の三男が茨城県に土着した際に地名をとって名乗ったのが始まりらしく、関東に多く、関西では少ない姓らしい。
さらに、家紋が武田菱を丸で囲んだものらしく、関係性を感じざるを得ません。
土着した信顕の子孫が、私なのかも??
もしかしたら私は信玄に、なんなら義家に所縁あるのかもしれません。
武士の名門!
小学生の頃から信玄は出てくるたびに苗字一緒だし何かと意識に上がってくる存在でしたけど、関係あるのかな…?
なんてね。
明治で苗字も家紋もかなり自由につけたらしいから、なんか所縁あるしってだけの理由で徳島の農民が「武田」と名乗っただけかもしれないんですけどね。
まあでも、なんかロマンあるよね。
そういえば昔、居酒屋で隣にいた全然知らないおっさんに急に
「キミ、武士の顔してるなぁ!先祖武士だろ?あるんだよ。農民の顔と武士の顔が」とか言われました笑
何言ってんだ?って感じだったし今でもそう思うけど、まさか、ね笑
自分のルーツを辿ってみると、思いもよらぬところにつながっていくかもしれませんね。
みなさんも調べてみては?
歴史が身近になるかも?