※この記事は、昨日の取材を受けてのモヤモヤを吐き出すだけの記事なので、全くまとまりがありません。
高校受験に限らず、受験の意味というものを考え直していかないといけない時代になっていると感じます。
少子化で受験者数は減り
入試制度は大きく変わり
法律などの制度設計も変わり
etc
色々な変化が急激に起こっているような、そんな時代。
少子化で高校受験は倍率が出なくて機能しなくなっていく可能性が高い。
というか、地方ではもうその感じがあるっぽい。
まだ都内は子どもがたくさんいるけれど、今のペースで少子化が進むなら、その流れは確実に東京にもやってくる。
中学受験熱はどんどん高まっている。
先行きが見えない不安からなのか
早期にと産業側が煽るからか
なんだか知らないからど、中受するしないに関わらず、どんどん早期化している。
たぶん、みんな不安なんだろう。
競争が激しくなっていってるから。
その中でどう勝ち残るかみたいなのとを、無意識的に考えてしまうから。
かな。
まあ、いろいろな問題?らしきものがあるわけだけれど
既存の受験というもののままでこれからも考えていたら
きっと流されるだけの存在となる。
受験っていうものは
たぶん社会的には再編成が目的だろう。
興味関心や、得意不得意、学力的な階層
そういうもので、ごっちゃごちゃなものを再編成していく。
そうして、それぞれがまた次の再編成にむけて専門性を高めていく。
社会的にはきっとこういうものなんだろうけれど
個々人にとっては受験というものは一体なんなんだろうか。
それをちゃんと考えておかないといけない。
これは、教育に携わる人は当然として、親も、本人も。
じゃないと、不安に煽られ、変化に流されて、結局何か大事なものを得られないままに受験というものが終わってしまう。
受験というのはどういうものなの??
そういうことをちゃんと考えていない塾は、きっと薄っぺらいところにとどまって、衰退していくんじゃないかな。
だって、そんな塾には通わせたくないでしょう?
私が高校受験を専門としているのは、高校受験というものに意味を見いだしているからです。
15歳という年齢に、意味を見いだしているからです。
10代後半というものが一体どんなもんなのかを私なりに考えているからです。
たぶん、塾報を読んでくださっている保護者の方、生徒のみんなは漠然とでも理解してくれていると思うけど。
10代後半を過ごす場所としての高校の価値を低く捉えてはいけない。
自己と向き合うということが何より重要で、その経験をするか否かでその後が大きく変わる。
そういろんなところで書いてますね。
大事なんですよ。
本当に。
試験に受かるためとか、偏差値が高いところに行くためとか、就職で有利だとか
そんなことは目的ではないんですよね。
そこを捉え違えていると、大人になった時に弱い人になるんだと思う。