楽な方に、負担ができるだけかからない方に
常に逃げていると
快楽は得られるかもしれないけれど、どこか空虚で充実は得られない
と、思う。
充実って言葉は、実が充ちるなわけで、実にたくさんのことが詰まってないと、充実にならない。
日々の生活の中には様々な「すること」があって、それを自ら自分でこなしていくってことをしないと
自分の生活の「実」はいつまでも空っぽなまま。
それでは、充実は得られない。
そしてたぶん「すること」はなんでもいいわけではなくて
「自分の成長」「全力の自分」「誰かのため」みたいな感じの雰囲気を纏うものたちのほうが
「実」を埋める様々な「すること」のなかで大きなパーツとなる。
たぶん。
だから、当塾の受験を終えた子たちは「充実してた」とみんな言うんじゃないかな。