本人が行きたいところに行ってくれればいいってのは本当か? | ZENT進学塾

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面談などしていると


「子どもの行きたいところに行ってくれればいい」


「決めるのは子どもだから」


という、至極真っ当と思われる声をよく聞く。



子どもの意思を尊重してます的な、そんな感じの声。





本心かもしれないけれど、本当に??と私は思う。



よくよく話を聞けば、いや、聞くまでもなく、決してそうは思ってないんじゃないの??と感じることもある。



本当は



偏差値高い学校に行ってほしい。


有名大学に行ってほしい。


そう思っていませんか?



いや、思うのがダメとかじゃないんだけれど、子どもに対してどうそれを発信しているかは、とても気になる。



行きたいところに行けば良いと言いつつ、子ども目線でも偏差値気にしてるのが透けて見えるような感じだったりすると



子ども的には「はいはい、口ではそう言ってるけどさ…」とか思うんじゃないかな。



行きたいところにとか言いながら、実は「決められた中での行きたいところ」でしかねーじゃんって。



中学2,3年あたりならそういうある種の諦め的な反応か、そこから反発していくかかな。



でも、これがもっと低学年だとどうだろう。



口ではそう言ってるのに、僕に/私に、やたらと勉強のことを言うこの親はなんなんだ?っていう、不安とか不信とか、そういうものに繋がらないのかな。



「辞めたかったら辞めていいんだよ?」とか「やる気ないなら辞めろよ」みたいな、実質的に辞めるという選択なんてないあの物言いみたいな。



いや、もちろん「行きたいところに」ってのは本心なんだと思うよ?



でも、そう思いながら相反するような思いだって、心の中にはあるんじゃないの?



もしそうなんだとしたら、「行きたいところに」だなんて言葉で誤魔化したり、なんだか遠回りした感じでやんわり言うんじゃなくて、ちゃんと言うべきなんじゃないかな。



私だったら、もっとシンプルに正直にダイレクトに言われたい。



私は自分の経験として、凄く勉強して、偏差値高い高校、大学に進学した結果、素晴らしい友人に出会え、金銭的にそこそこ豊かに生活出来て、幸せな日々を送っているし、勉強して挑戦する楽しさを知っているから様々な新しいことにも向かっていける。

そんな生活をあなたにもしてほしいと思うし、何にでも挑戦できる人の方が魅力的だと思うから、勉強して偏差値高いところを目指した方がいいと、心から思ってる。

でも、偏差値はそんなでもないけれどすごく素敵だなと思える学校が見つかったなら、それを応援したい。



こう言われたいし、こう子どもには伝えたい。