「見られている」ということは学力に影響する? | ZENT進学塾

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思うに、「見られている」って状態はけっこう行動などに影響する。

 

 

あれだ、量子の重ね合わせの原理みたいな。観測されて初めて固有値になるみたいな。波束の収束ですね。

 

 

わからんって?(笑)

 

 

 

 

冗談はさておき、「見られている」ってのはかなり影響するはずなんですよ。

 

 

規範やらモラルやらって、そんな感じあるでしょう?

 

 

良いかどうかは別として、見られてないからOKみたいな感じはある。

 

 

外ではしっかりしていても家の中は誰にも見られないからぐっちゃぐちゃみたいな人もいますよね。

 

 

 

 

勉強もそんな感じあるんじゃないかな。

 

 

見られないならいいかみたいな感じ。

 

 

親が見てない→親は勉強のこと気にしてない→じゃあ勉強どうでもいいか

 

 

みたいな。

 

 

たぶん小学校の最初の頃って結構親が勉強に絡んだはずなんですよね。

 

 

ところが、だんだん親は忙しいし自分でやれるだろうと思って見なくなる。

 

 

やれるならいいんだろうけれど、たぶんやれない子の方が多い。

 

 

特に小学校4年生あたりからは内容が高度になっていてつまづいていることが多いのだけれど、親が見てなくてそれを感知していない。

 

 

そうしてどんどん子どもの勉強への取り組みは離れていき、気が付いたらさっぱりという状態になっている。

 

 

 

 

じゃあ、そうならないためにはどうすれば??

 

 

流石に勉強しているところに張り付いているわけにもいかないだろうから

 

 

せめて、丸付けだけでも親が続けるってのはどうだろう。

 

 

もちろん、文字通り丸付けだけするのはどうかと思うけれど、丸付けするだけでも子どもからすれば「見られている」なわけで、どうでもいいとはならないんじゃないかな。

 

 

当然丸付けしていれば親は内容を見るわけで、何が出来てないとか把握できるし、教えることもあるはず。

 

 

 

 

まぁとにかく、親が見ないと。

 

 

親がかかわらないと。

 

 

自走できるようになるまで手を貸さないと。

 

 

たぶん、自走できるようになってないのに手を放してしまっていることが多いんだと思うんだ。

 

 

親だって色々あって忙しいもんね。

 

 

 

でも、それで子どもがうまくいってないなら、何のために自分たちは忙しくしているんだろうね?ってなっちゃわないかな。