うちの子勉強しなくて…
いってもやらなくて…
スマホばっかりいじってて…
ゲームばっかりで…
様々な悩みがある。
そして親は、我が子に「社会的に良いと思われるような性質」を身につけて欲しいと願い、その悩みと戦う。
いや、本当に戦っているか。
口で言うだけ言ってたって無駄だって、何度か書いているけれど。
勉強してほしい
努力できる人になってほしい
考えられる人になってほしい
子どもに変わってほしい
でも、自分は変わらない。
そんな都合のいいことあるのかな。
ベイビーをみているとわかる。
子育てって、子どもを通して自分を見ることでもあって、子どもを通して自分も変えないといけないし、子供に変わって欲しいなら、まず、自分が変わらないといけない。
子どもに勉強しろって言いながら、自分はスマホ見てダラダラしていたり、ニュース見ろと言いながら自分はバラエティー番組みてゲラゲラしていたり野球観戦に没頭していたりすれば、子どもからすれば「オマエは何もしてねーくせにこっちにだけ言うのかよ」ってなる。
そういう面だけに止まらない。
親が自分のエゴ的な感じでガミガミやってたら、子どもは親が本当は自分を見ていないことは、言葉にできなくても感じとる。
「ああ、この親は、私をみてるんじゃなくて、自分がどうみられるかが大事なんだな」って。
子は親を映す鏡
子は親の背を見て育つ
子どもに変わって欲しいと思うなら、まず、親から変わって、変わった姿を子どもに見せないといけない。
勉強してほしい??
なら、勉強させようとする前に、勉強する。
本読んで欲しい??
なら、本を読む。
そういう子どもに見せる姿が、子どもにとっての当たり前に変わっていく。