1週間で◯◯をマスター
1ヶ月で劇的に変わる!
これさえやれば完璧!
みたいなものが世に溢れてる。
忙しいし、時間はない。
だから、コスパやタイパ重視のそういう言葉に惑わさせる。
需要があるから、そういう言葉を使うとアクセス数も増える。
いや、供給が先だったのかも…まぁ、それはいいか。
とにかく、そんな言葉は世に溢れ、そういうものがあるかのように見せてくる。
また、現代社会は望めばとりあえず手に入る。
Google、最近ならchatGPTか?にでもきけば、知りたいことを教えてくれる。
見たい動画をすぐ見れる。
Amazonでポチれば早ければ翌日に届く。
エアコンのスイッチ一つですぐに涼しくなる。
手軽でよろしい。
でも、一方でそんな世の中だから、どんどん加速して、早期化している。
そのせいか、待つとか耐えるとか、そういうことがどんどんできなくなっていっているように感じる。
大人も、子どもも。
時間が解決することはたくさんある。
特に、子どもの成長とか学力、子どもだけじゃないね。
大人も。
人として成熟していくこととか、そのために自分を鍛えることとか、そういうのは時間がかかる。
待つこと、耐えること、それ自体に意味があるような部分もある。
なのに、数値としての結果に結びつかないとすぐ諦めたり、すぐ他を頼ってみたり、急に飛び込んできた情報に惑わされたりする。
短期間で◯◯マスターみたいなものって、確かに可能なんだけど、それらのほとんどは、ものすごーくあさーい表層部分をなめた程度。
そのパターン「しか」出来ないから、結局使えないものがほとんど。
マスターする範囲が極めて狭いわけ。
もちろん、定期テストとかならギリギリそれで対応できるかもしれないよ?
でも、本番では点が取れない。
定期テストは点取れるけど、模試とかだと全然ダメみたいなのってよくある話。
定期テストの順位を誇りまくってるのに、進学実績は???な塾もたくさん。
それは、そういうことだったりする。
短期でなんとかするけれど、後に残らない感じ?
後に残すためには、相応に時間を費やすってことをしないといけない。
いきなり大きくは変わらないけれど、目に見えない水面下で起こっている小さな小さな変化が、鳴動するその時まで、耐える。
大きなうねりとなって飛躍するその時を、待つ。
どれくらい?
たぶん、最低半年。
多くの場合、2〜3年は待つし耐える。
それをしないなら、使い捨ての学力を身につけているだけ。
使い捨ての学力は、文字通り使い捨てだから、キミの中には蓄積されていかない。
わからん?
そう
インスタントで使い捨ての学力追い求めてろよ。