わからない問題に出会ったとき
どう対応するかは結構大きな差がある。
友達に聞いて理解する。
別に否定する気はありません。
ずーっと悩んでいるくらいなら聞いたほうが早いでしょう。
でも、聞くことが常態化している子は要注意。
聞けば答えてくれるという環境
そこに甘えが出る。
自分の力で理解しなくても教えてもらえる。
すると解説を読み込んだりしなくなる。
読み込んでいる「つもり」なんだけれど読み込めていない。
そんな風になってません?
さらに、先生に教えを乞うことも厭う。
なぜなら出来ていないこと、わかってないことが露呈したり
場合によっては質問に端的に答えてもらえなかったり
やり方が知りたいのに違うところから説明されたりしてしまうから。
やり方のみが知りたい、答えが知りたい
そういう感じになってしまっていると
友達に聞いたほうが楽。
だって友達は聞かれたことに答えるだけなんだもの。
教えたり成績上げるプロではないですからね。
その子に本当に必要なことは何なのか
その問題のポイントはどこなのか
キミの考えの何が間違っているのか
そういう部分を正確に見抜いて
時に丁寧に、時に不親切に説明するわけではない。
結局その問題は理解した気になっているかもしれないけれど
なかなか次につながる部分にはたどり着いていないなんてことが多い。
聞くことが常態化している子は
理解していなくても良いという風に無意識的になる。
友達を自分の外部記憶装置にしてしまっていて
自分で記憶しているわけではない。
そんな風になってないかね?
なってない?
そうなってる人、かなり多いように私には見えるけれど。