学力
運動能力
性格
体格
容姿
芸術的才能
文を書く力
理解力
共感性
コミュニケーション能力
器用さ
様々な部分で自分を人と比べる。
そして、人と自分の違いを見つけ、時に悩む。
時に、自分の力を嘆き
もっと恵まれていたら…と考える。
中学生、高校生になると
その個々人の能力の差はどんどん可視化されやすくなり
また、明確になっていく。
その違いを個性と呼ぶわけだけれど
誰かと比較するとどうしても秀でている人たちが目に付く。
しかもその比較は、特定の誰かと常に比較しているわけではなく
勉強はAくん、運動はBくん、歌はCくん
というように
比較対象は毎度毎度違い
常に
自分よりある能力が秀でている人と比較して
自分を半端な存在にしてしまう。
何か一つの尺度で人の価値をはかること自体が無意味。
そんなことをよく言われ
分かってはいるつもりかもしれない。
でも実は
価値などというものは地域や時代、感情、その人を取り巻く環境によって変化するという
ごくごく当たり前のことが
心でわかっていない。
だから、自分に劣等感を抱き
ありたい自分ではない自分というものを嘆く。
たぶん、思春期の間は、それがわからないのなんて当然なんだと思う。
だって、自分というものに向き合って
とにかく自意識過剰になるのが思春期ってものだから。
そしてたぶん、別にそれは悪いことではない。
そういう葛藤を通して
他人を意識して
他人を通して自分というものを見つめて
こうでありたいという自分になろうとして研鑽することに意味があるから。
自分ではどうにもできない要因によって
自分の価値などというものは決まらない。
たぶん思い通りにはなかなかならないけれど
諦めずに自分で変えることが出来る部分を少しでも変えて
なりたい自分になろうと毎日励む意思。
その意思をもって日々積み上げていくことこそが
自分をいずれ、自分が望む自分へと変えていく。
そして、そうして形成されていく自分というものが
自分で自分に価値があると思える土台となる。
さらに
積み重ね
自分が思うような結果が出てきたときに感じられる喜びは
また自分をさらなる高みへと引き上げる原動力となる。
決して楽ではないけれど
そういう意思をもって歩み続ける生き方をしてほしい。