毎日のように通っていたお店に
たまたま忙しくていかない日が続いた。
たまたま体調が悪くて行けない日が続いた。
たまたま新しく知り合った人といったお店が気に入って、そちらに行くようになりいかない日が続いた。
その結果、なんとなく、もとのお店に行くのが億劫に感じる。
そんなこと、ありますよね。
お店側からしたら、そんなの気にしていなくって、行ったら行ったで「よう、久しぶりじゃん」となるのですが、なぜか、自分の心と体が向かわない。
きっと、全員が全員じゃないでしょうけれど、そういう経験がある方は比較的多いはず。
これは心理的な問題なのでしょうが、行かないということが常態化してしまっているんだと思います。
以前は、行くことが常態化していた。
のに、一度行かなくなると行かないことが当たり前になって、行かないことが常態化する。
勉強も、同じようなことが起こります。
例えば、中学生になって、受験を意識し始め、勉強をやるようになる。
だんだん、勉強時間も増え、中学三年生の後半になると部活も終わり、ほとんど勉強しているようになる。
これは、勉強していることが常態化しているということです。
こうして常態化すると、それはつまり習慣であるわけで、非常に強い。
常態が勉強している状態なのですから、誰に言われるでもなく勉強するし、勝手に伸びていく。
(この常態化するまでが以上に大変なのだけれど。)
ところが、受験が終わるとその状態からいったん解放されます。
別にする必要性はない状態になり、初めのうちはそれでもやるのだけれど、徐々に、別の刺激がやってきて、時間は減り、気がついたらやらない状態が常態と化している。
受験が終わって高校生になった子たちの中には、こういう状態になっている子が多く見られます。
別に、高校生になってからも毎日受験期と同様に勉強しろ!というわけではないのですが、常態化するまでには長い時間がかかります。
だから、高校生になってからも、毎日2時間くらいは勉強するということは、自分で意識的に行わねばなりません。
当塾は高校受験が専門で、高校受験が終わったら「さあ!あとは勝手にはばたけ!」というスタンスなのですが、私もある程度大学受験の事情が分かるようになってきまして、卒業していった子たちのために、強制的に勉強する仕組みは何かしら整えてあげる必要があるのかな?と感じています。
私は大学受験の面倒は見れないけれど、当塾で育った子たちなら、「確実にやる場」さえあれば、勝手に勉強できるので。
そんなことを考えながら、なんとかいい方法はないかと考えつつ、それ専用の場を作るべく、テナントを漁っております。