待つという行為 | ZENT進学塾

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社会はどんどん加速して、次から次へ、情報は流れ、発展し、その中で人は、自分が「何をしたのか」が求められます。

 

企業で、学校で、その他もろもろ様々なところで、評価制度が取り入れられて。

 

それ自体はいいと思うのだけれども、この評価制度は「何をしたのか」が求められます。

 

何をどれだけ待ったのかは、評価されません。

 

 

 

ただ、そばにいること、ひたすらに待つということ。

 

これらは非常にエネルギーを使います。

 

ただ、ぼけーっと何かが起こるのを待ち、何かが起こったらそれに反応するのとは異なります。

 

自然の中でカメラマンがおさめたい一瞬を待つかの如く、じっとして、精神を張って、相手を見据えながら待つ。

 

主導権は自分ではなく、相手。

 

 

 

教育は、かなりの部分で「待つ」ということを求められます。

 

なかなか成果は出ない。

 

でも、必ず成果は出ると信じて待つ。

 

なかなかやる気になってくれない。

 

でも、必ずどこかで変わると信じて待つ。

 

 

もちろん、いろいろな働きかけはするのだけれど、ベースにあるのは待つという行為だと、私は考えています。

 

もしかしたら、高校受験には間に合わないかもしれない。

 

でも、だからと言って無理矢理に引っ張っていっても仕方がない。

 

子どもらが自分の足で歩けるようになるまで、待つ。

 

 

結果を求めたくなってしまうのだけれども

 

ただその一点だけに縛られるような結果の求め方ではなく

 

長い目で見た時に意味のある結果を求めて待つということが必要です。