さまざまな場において
自分は選ぶ側です。
みたいな感じでいる人がいますよね。
多くの場合、選ぶ側であると同時に選ばれる側でもあるのだけれど。
お客さんの立場であったとしても、金銭の対価にモノを得たりサービスを受けるわけだけれども、提供する側にだって、提供するか否かを選ぶ権利はある。出禁とかあるし。
就職なんかもそう。
企業を選んで採用試験を受ける。
そして、企業が面接などをして採用するか否かを選ぶ。
不思議なもので、「選ぶ側」になった方が、なんだか偉いかのように感じてしまう。
なんとなく高圧的になったり。
何でしょうね。コレは。
不思議だなぁと感じています。
その瞬間瞬間において、選ぶ側/選ばれる側というポジションは確定するわけではなく、常に選ぶ側であり、選ばれる側であるのでは?と私は思うのだけれども。
先ほどの就職の例でも、面接などの際に企業側が選んでいるようで、面接されている側も選んでいるのだと思うのだけれども。
人間関係とかもそうですよね。
ずっとそんなことを意識していては堅苦しくてやってらんないから、普段は気にもしていないのだけれども。
何が言いたいかって
で、キミは、目の前の誰かに選ばれる/受け入れられる何かを持っているの?
ということ。
キツイ言い方に聞こえるだろうけれど。
何でもいいからそういった何かを持っていないとね。
一方的に選ぶ側だと思ってはいけませんよね。
私も、選んでもらえているから、今、ここで塾をやれている。
そういう感覚をなくしてしまったら、きっと傲慢で、不遜で、天狗になる。
そうならぬよう、日々、意識を持っていなければなりません。