国語の再定義 | ZENT進学塾

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英語はやればその分コツコツ伸びます。

 

数学はある日突然ぐっと伸びます。


あくまでも一般論ですけれど。

 

社会も理科も、それ以外の科目も、やればその分知識は増えて、分かるようになる。

 

 

しかし、国語は伸びが分かりにくい。

 

伸びているんだか伸びていないんだかよく分からない。

 

特に低学年のうちは、よくわからない。

 

運ゲーだと思っている子もいます。

 

 

けれども、国語には国語の勉強の仕方がちゃんとある。

 

国語の勉強は、一般的に考えられる「勉強」と、そうではない「勉強」に分かれると思います。

 

一般的に考えられる「勉強」は

 

例えば漢字を覚えるとか、ことわざを覚えるとか、文法を覚えるとか、言葉の使い方を知り、文章の基本的な読み方を知るとか

 

そういうものです。

 

これらを無視しては、いつまでたっても国語は出来るようにはなりません。

 

だから、当塾では低学年のうちに言葉の使い方や漢字、文法を徹底的に仕込みます。

 

中三から入ってきた生徒は、このへんが非常に弱い場合が多いです。

 

 

ところが、こういういわゆる「勉強」チックなことばかりやっていても、限界があります。

 

こういう「勉強」チックなことはそれはそれで大事だし、私はそっちを手抜きすることは許しませんが

 

そうではない方をもっと大事にしていきたい。

 

 

それは、「コミュニケーション」です。

 

コミュニケーションが活発に行える子ほど、国語は伸びてくる。

 

私は専門家でもないですし、しっかりと統計を取っているわけではないから感覚知でしかないのだけれど

 

ぐっと国語が伸びてくる子は私とよく会話する子です。

 

私とでなくてもいいのだけれど、いろんな人と当たり前に楽しくしゃべれる。

 

こういう子は良く伸びる。

一見会話しているようでも、一方的なコミュニケーションになっている子はあんまり伸びません。

相手への意識が欠落しているからかな?

 

 

それから、様々なことを見聞きして、うっすらとでも記憶にとどめてある子も良く伸びます。

 

自分の知っている世界が広いということは、それだけ、文章で筆者が書いている事柄に対するイメージも浮かびやすいでしょうからね。

 

 

ちょっと極端な例ですが、恋心を題材としている文章。

 

分かる子と分からない子にはっきり分かれることがあります。

 

自分の経験としてその感情があるか無いか。

 

これは大きいでしょうね。

 

 

人と接する中で出来上がる自分のイメージや、自分を形成する層。

 

こういった物の厚みが読解には影響すると思っています。

 

だから、人との交わりを多くなさいと私は言い続けているわけですね。

 

 

さらにいえば、コミュニケーションって別に、人と人ばかりでもない。

 

自然とだってコミュニケーションできる。

 

 

え? なんかいかがわしいスピリチュアルな感じがする?

 

そういうんじゃないんですけれど

 

 

水の音、風の音、また、その匂い

 

すみわたった空

 

照らす太陽

 

虚空を漂う月、星

 

草花の色や匂い

 

火の色

 

移り行く季節の匂い

 

そういうさまざまな自然の表情

 

そういったものとだって、我々はコミュニケーションできるはず。

 

そういう自然とのコミュニケーションだって、精神の成長には欠かせないはずです。

 

そして、こういうことが弱いと、伸び悩むように思います。

 

 

だって、国語は「読み、感じ、考え、表現する」ものであるから。

 

人の機微を読み、自然を読み、世の中の流れを読み

 

それらをまた感じ。

 

そしてそれらから考え、自らを表現する。

 

そういうことが大切です。

 

国語は学力テストの点数だけで測れるようなものだけではない。

 

もっと、生きるということと密接に絡んだ事柄であると思っています。