他者を理解すること、自己を理解してもらうことの難しさ | ZENT進学塾

ZENT進学塾

池上線・大井町線の
旗の台駅から徒歩1分。

地域密着型で高校受験専門の
集団授業を行う進学塾です。

右写真 代表:武田

ブログの記事は勉強や
塾のことに限らず
いろいろごちゃまぜ。

お問合せはコチラからどうぞ
https://zent-study.com/

スマホの普及とともに、我々は常にだれかと繋がっていることが出来るようになりました。

 

SNSなどはその最たるものでしょう。

 

誰かがSNSに投稿し、それに「いいね」をしまた自分が投稿し、「いいね」され。

 

 

相手が何をしているのかを知りたい。

 

相手がいったいどういう人なのか知りたい。

 

自分がどう見られているかを知りたい。

 

こういった感情はみんな持っていることでしょうし、それは当然のことだと思うのでいいと思っています。

 

しかし、携帯電話、そして、スマホの登場はコミュニケーションのあり方は変容させました。

 

我々が他者を理解し、理解されるために必要だった手法、時間、距離といったもの。

 

そして、それらの障害をどのように克服していくのかという、それに対するエネルギーのかけ方が大きく変わっているように思います。

 

 

好きな子がいたとします。

 

携帯電話などなかった頃は、家にある固定電話で通話する。

 

親が出る可能性もある。

 

電話の場所によっては、こっそりと親密な会話が難しい。

 

そこをどうやって乗り越えるか、そして、それが達成されたときに得られる感情。

 

こういったものは薄れているでしょう。

 

友人とのやり取りだって同じです。

 

親がいるとなかなか話しにくいようなことをどうやって話すか。

 

今はスマホにより、いつでもどこでもコンタクトが取れてしまう。

 

SNSあたりで反応すればいい、LINE送ればいいだけだから。

 

 

別に、昔は良かったよね~なんて言いたいわけではありません。

 

私だって、携帯電話が普及し始めた世代に中高生だったのですから、昔のその肌感覚がしっかりわかっているわけではありません。

 

何が言いたいか。

 

相手を理解し、相手から理解されるって、時間をかけて、エネルギーをかけてなされるものではないですか?

 

ということです。

 

 

SNSで繋がる。これは素敵なことだと思います。

 

いつでも簡単にコンタクトが取れる。これも素敵です。

 

けれど、相手を理解した気になっているのでは?と思うことが多々。

 

あるいは、自分だって理解された気になってはいないかな?とか。

 

 

本当に相手を理解し、相手から理解されようと思ったら、相手を想像し、そして対話を繰り返していくしかない。

 

好きな子にどうやったら自分の思いを伝えられるか。

 

友人にどうしたら誤解なく本音が伝わるか。

 

そういうことに思い悩み、言葉を綴る。

 

 

LINEのスタンプ。便利です。

 

感情を1個の記号で表せる。顔文字もしかり。

 

けれど、そこにあるのは記号としての感情や考えであって

 

自己の心を正確に表現できるはずもない。

※スタンプ批判がしたいわけではありません。

 

そして、わりと「すぐに」反射的に押すことも多い。

 

「ヤバい」とかそういう記号化している表現も同じですね。

 

ちょっと前に流行った「卍」とか、いやいや…って感じですし。

 

今だと「ぴえん」あたりかな?

 

ライトで速いコミュニケーションです。

 

 

何か長い文を書くとき、手紙を書くとき、自分の心の中にある感情、頭の中にある考えをいかにして表現するか。

 

どうやって伝えるか。

 

そういう自分の内面と深く向き合い、そして相手を想像する。

 

そういうとき、いかに言葉で伝えることが難しいかを感じます。

 

じっくり考えて相手に送る。じっくり考えて発表する。

 

そういう重く遅いコミュニケーションを忘れてはいけないと思います。

 

 

全てのコミュニケーションにたいしてそうあれと言いたいわけではないのだけれど

 

スマホの登場あたりから、ライトな速いコミュニケーションばかりになっているように思います。

 

だから、他者意識の欠落した人が増えていっているのでは?とも思っています。

 

 

コミュニケーションがライトで速くなればなるほど、その場のノリ、ライブ感が重要になり

 

相手がどう思っているとか、何を意図した発言かをスルーしがちになる。

 

速さが重要だから。

 

お互いにそうなっていることでしょう。

 

 

すると、いつしか本来は重く遅いコミュニケーションが必要だった事柄にまで

 

その侵食が進んでしまう。とにかくライトに、速く。

 

そして、深く他者のことを、自分の内面のことを考えなくなり感情は記号化し、劣化する。

 

 

最近の子たちは、生まれたときからスマホがあり、中学生、早い子は小学生からスマホをもち、そういうコミュニケーションを行っています。

 

小学校高学年、中学生あたりになれば

 

自分と他者の違いに思い悩んだり、好きな子が出来たり

 

重く遅いコミュニケーションが必要な場合も増えてくる。

 

けれど、ライトな速いコミュニケーションに流されてしまう。

 

 

最近、国語が出来ない子、人の話をしっかり聞くことが苦手な子が増えていると感じています。

 

私は、他者意識が欠けていると表現しているのですが、きっと、こういうコミュニケーションの変容が関係しているように思います。

 

小説の読解って、この他者意識そのものなのでは?と思います。

 

「人の気持ちとかわかんないから~」となかば自虐的に言う子もたくさんいます。

 

他者を理解し、また、理解されようと思ったら、相手想像し意識しないといけません。

 

重く遅いコミュニケーションを、考えていく必要があるのかもしれません。