塾報がほぼ完成しました。
月曜日に配布いたします。
今回は内申について、思うところを書いています。かなり辛辣に(笑)
下記はその一部です。
【そもそも内申とはなにか】
それは、他者から見たキミです。
内申というのは、学校の先生がつけるものです。
もちろん、相手は人です。好みによって左右されてしまう部分はあります。
それはシステムとして問題があるのだけれど、内申どうこうという批判をする人は、それ以前のレベルであることの方が多いのが実情です。
《よく生徒が言う愚痴》
「定期テストの点数が80点で3がついた。」
「提出物ちゃんと出したのに3がついた。」
私「あ、そうですか。当たり前です。」
「○○は70点で4なんですよ?」
私「あ、そうですか。キミより優れたなにかがあるんでしょ?」
よくある愚痴に対する私の感想はこのとおりです。
まず、公立の定期テスト80点なんて、何も凄くない。提出物を出す。こんなものは当たり前。
凄くない点数をとり、当たり前のことをしただけ。それでなんで、4や5がつくとお思いか?
定期テストって勉強して臨むのが当たり前。
ちゃんと勉強すれば8割は当たり前に取れるテストです。だから、80点は普通。
むしろ私に言わせれば、定期テストごときで80越えて、当たり前に提出物を出すだけで4くれるなんて、恐ろしく優しい先生です。
内申というのは、他者から見たキミです。
キミは普通にやるべきことをしただけ。
別に優秀なわけではない。だから3。
ただ、それだけのことです。
だし、どーせキミたち、授業中不真面目にしていたり、中には寝たりする人も。
授業中先生の指示を聞いていなくて聞きなおしたり、友達に聞いたり。
そんなことしているでしょう?
3がもらえるだけありがたいと思った方がいい。
そういうの、学校の先生は結構よく見ています。
私でさえ見ているのだから、評価する立場にある人ならなおさらです。
キミなりにはやったつもりなのかもしれない。
けれども、キミがキミをどう評価しているかなんて、内申には関係ない。
必要なのは、他者から見て、自分はどう映るのかという意識です。
例えば、提出物を出しました。はい、それはいい。
で、その字は綺麗か?
見やすさを気にしているか?
意味不明な日本語になっていないか?
期日にちゃんと間に合わせたか?
評価する側の目線に立ちましょうか。
キッタネー字で書いてある文を、読みたいか? 嫌でしょう?
日本語いかれてる文章読んだら気持ち悪くなるでしょう?
期日過ぎて提出されたらそれだけで、「余計な手間が増えた…」となるでしょう。
そういう他人からどう見えるかという意識の有無が、内申には大きく影響します。
他者意識ってやつです。
内申が低い人は基本的に、定期テストを本気でやっていないか、この他者意識が欠落しているか、あるいは、その両方かです。
内申をあげようと思うのなら、まず、相手を意識しなくてはなりません。
内申が内申が~って文句を言う人がたくさんいるのですが
私の目から見るとですね
そこまで理不尽に内申がついているとは思えません。
もちろん、9割超えて提出物もしっかりやっていて、それでも3みたいな意味不明なこともあるのだけれど
たいてい、「まぁ、そうでしょう」という感じの内申です。
「なんでこの子、こんなに内申低いんだろう?」
は、ほとんどありません。
むしろ、
「なんでこの子2なのに3もらえてるんだろう?」
とか
「どう考えても3なのに、なんで4なんだろう?」
はたくさんいます。
内申に文句を言う前に、自分の行動が本当にその内申に見合っているのかは考えるべきです。