都立の発表をもって、当塾の受験は終了しました。
結果はいろいろ思うところはあります。
上手くいった子もいれば、残念な結果になってしまった子もいます。
でも、本題はそこではなくて、当塾に通ってくれた子についてです。
当塾では、受験終了後に「受験を終えて」というテーマで作文を書いてもらっています。
そこに書かれていたことについてです。
その作文に、
「結果を残せずごめんなさい」
「不甲斐ない結果で申し訳ない」
と書いている子らがいました。
こう書いていた子らは、私が受かるかな…
ではなく、
受かると信じていた子でした。
その字を見たとき、私は二つの感情におそわれました。
こちらこそ、ごめんなさいという気持ち。
本当に受からせてあげたかった。
それから、こんな風に考えてくれる子を教えられて幸せだなという思い。
本来なら、責められたって文句は言えない立場です。
せっかく、私を信じてついてきてくれていたのに、受からせてあげられなかったわけですから。
でも、そんなことを一言も言わずに、ただ、「ごめんなさい」と言ってくれる子達がいるというのは、
教える立場にある身としては、これ以上ないくらい嬉しい事なのかもしれないなと思いました。
たぶん、そう書いた子らは、
自分で言うのは烏滸がましいけれど、
「世話になった」という思いと
受験をただ単に自分の事と捉えていた訳ではなくて、自分の事であり、私の事であり、この塾の事というように捉えてくれていたのだろうなと。
だから、意識していた訳ではないのだろうと思いますが
「結果を出せなくてごめんなさい」
なんて表現になるんだろうなと。
一緒にやっていたという思いをこの子らは感じていてくれていたのだなと感じました。
今まで、何人もの卒業生に書いてもらってきて
感謝はたくさんいただきました。
失敗したことに対して内省する子もたくさんいました。
でも、謝られたのは今回が初めてで、
それが私には新鮮で、とても印象的で、とても考えさせられました。
あらためて、この場で言っておきます。
受からせてあげられなくて、本当にごめんなさい。
そして、ごめんなさいなんて言わせてしまって、ごめんなさい。
それから、そう感じてくれてありがとう。
高校で大きく成長してくれると信じています。