あなたが健康を願う人はだれ?
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そして―――
親しい子どもたち………
私の場合―――
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2024年8月16日(金)
こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。
今日も今朝アメーバさんより寄せられている
「 リブログ 」……
いつも
ほんとうにありがとうございます。
〈 原文に段落行間隔らの改定を施しています… 〉
どうぞ
よろしくお願いいたします~~~
2022年8月16日(火)。
今日も今朝
いつも通りにアメーバさんより「 リブログ 」が寄せられています。
ほんとうにありがとうございます。
日本国の政界や官界の右往左往ぶり
が
元総理大臣安倍晋三氏襲撃殺害大事件を契機
に
一気呵成に見事露呈、 噴出をしている光景
が
ここのところ、日夜マスコミに映し出されている日本です
が
この度のリブログにもありますよう
に
日本国の実態(実体)、根本は現在(いま)で
も
何ひとつ変わってはいないのが
現実――
だがしかし、
日本国上級国民〈 権力者支配層 〉
より
【 識字率5% 】と密かに揶揄をされている
大多数の一般国民
に
果たして、
どれだけ認識が持てるのでありましょうか!?
いまも怖い世の中に違いはまったくないのです
が………
2021年8月16日(月)。
この度は、
つい一昨日の14日
に
リブログ投稿をさせていただいたばっかり
の
記事であります。
ですが
折角のアメーバさんよりのお報らせです――
僭越(せんえつ)ながら、
繰り返し過ぎるという記事ではありません
ので
ご好意を受け、そっくりそのままに、
ここに
ふたたびのリブログ投稿をしておきたいと存じます――――
今日は2021年8月14日(土)。
今朝は、アメバさんより二編の
「 雪月 剛のリブログ 」が届けられていました――
ほんとうにありがとうございます。
まずは このお昼12時
に、
その中の一編を投稿させていただこうと存じます。
新型コロナウイルス激増の非常事態によって、
このところ
いみじくも、
日本国の滅茶苦茶ぶり
を
目の当たり、現実に見せ付ける
〈 露呈させた 〉
日々が
続いています。
ですが―――
この様相!
何も いまに始まったことではないのです―――
それでは今回のリブログです~~~
「 今日は終戦記念日 」は終わった
が、
矛盾だらけ滅茶苦茶の日本社会!
人間社会に終わりはない
- テーマ:
- ブログ
『 日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!?』
新パート34
「 雪月 剛のブログ180 」パート111
前回、
今日は終戦記念日、
でも しかし
「 今日は敗戦反省日 」 がほんとうではないの!?
の つづき
今回はまず、
一昨日 8/14(金) 9:56配信の--------
< 「 最後のとき 」 死を覚悟したことも…92歳元暗号兵が語る
“ 極秘任務 ”
西日本新聞 暗号兵当時の思い出を語る高巣信芳さん >
の
ネット記事の一部引用より始めさせていただきます。
では―――
鮮明に覚えているのが8月6日、広島への原爆投下直後のことだ。
大本営が発信した暗号を受け翻訳した。
「 原子爆弾 」 という単語が暗号になく、「『 子 』 の文字から頭をひねった
結果、
『 親子爆弾? 広島の被害甚大なり 』 と伝えた 」。
新型爆弾
は
高巣さんらにも未知の物だった。
◇ ◇
長崎への原爆投下を伝えた後、
上官から暗号書の焼却を命じられた。
「 暗号を処分するときは最後のとき 」
と
死を覚悟したが、そのまま終戦を迎えた。
「 暗号兵だったことは 隠せ と上官に言われた。
終戦で
もう利用されることもないのに、
なぜだったのか… 」。
今でもふに落ちない。
だが、自身が考えていた以上に任務は 極秘 だった。
厚生省(現厚生労働省)からその後に送られてきた
軍歴書では、
油津への配属時期は「 不詳 」 とあった。
「 機密を扱っていることは自覚していたが、
毎日の任務に必死で、その重要さを考えたこともなかった 」
そして、
前回の「 雪月 剛のブログ 」 続き-------
大先達、鬼塚英昭氏
(1938年1月6日~2016年1月25日)
ノンフィクション作家が遺して逝かれた、
「 原爆の秘密 」 「 国外編 」
殺人兵器と狂気の錬金術。
『 国内編 』
昭和天皇は知っていた。
鬼塚英昭著、 2008年8月。
成甲書房。
よりの一部を抜粋引用です--------
原爆投下予告を
確かに聴いた人々
2007年新聞記事が挟まれていた、2000年12月24日付け産経新聞記事、
「 予告されていた原爆投下 」
社会部、野崎貴宮。
『 原爆投下は予告されていた 』…
黒木雄司著、
光人社。1992年より--------
伝単=宣伝ビラ----
日米ともに、飛行機に拠って空中散布。
昭和20年2月16日から敗戦まで
全国に4百58万4千枚散布とアメリカの発表。
「 広島市役所原爆誌(市議会議員の回想掲載) 」、
「 昭和2万日の全記録=第七巻 」、
講談社。
アメリカ側の実際の宣伝活動
A、
人口10万以上の都市47、に9日間に亘り1600万枚
の
リ―フレットの投下をすること。
B、規則正しいラジオ宣伝放送をすること。
C、原子爆弾攻撃の記事と写真を載せた
日本語新聞のコピ―は50万枚を徹布すること。
600万枚のリ―フレットと多数の新聞は投下されていた。
日本語の短いラジオ放送は規則正しく15分間隔で行われていた。
当時長崎、大村海軍病院院長泰山弘道著『 完全版長崎原爆の記録 』2007年。
没後50年後の出版。
この著の中に記載、
「【 守衛長が病院の庭で拾ってきた 】
アメリカ飛行機より撒かれたビラが載っている 」
その全文。
「 そのビラ 」
即刻 都市より撤退せよ
日本国民に告ぐ!!
このビラに書いていることを注意して読みなさい。
米国は今や
何人もなし得なかった極めて強力な爆薬を発明するに至った。
今回発明せられた原子爆弾は只その一個を以ってしても
優にあの巨大なB-29二千機
が
一回に搭載し得た爆弾に匹敵する。
この恐るべき事実は諸君がよく考えなければならないことであり
我等は
誓ってこのことが絶対事実であることを保証するものである。
我等は今や日本本土に対して此の武器を使用し始めた。
若し諸君が尚 疑があるならば
この原子爆弾
が
唯一個 広島に投下された際
如何なる状態を惹起(じゃっき)したか調べてご覧なさい。
この無益な戦争を長引かせている
軍事上の凡ゆる原動力
を
此の爆弾を以って破壊する前
に、
我等は諸君が此の戦争を止める
よう
陛下に請願することを望む。
米国大統領は先に名誉ある降伏に関する十三ヶ条の概略を諸君に述べた。
この条項を承諾し
より
良い平和を愛好する新日本の建設を開始する
よう
我らは慫慂(しょうよう)するものである。
諸君は直ちに武力抵抗を中止すべく措置を講ぜねばならぬ。
然らざれば我等は断乎この爆弾
並びに
その他凡ゆる優秀な武器を使用
し
戦争を迅速 且つ協力に終結せしめるであろう。
// 即刻 都市より 退避せよ //
つづいて--------
このビラ
を
もし、
天皇の大本営が新聞紙上に出す許可を与えていれば、
どこの都市に原爆を投下しよう
と
その被害は最小限にくい止められるであったろう。
天皇の大本営は
このビラ
を
軍隊、警察、特高、憲兵をフルに稼働させて
回収した。
そして
「 アメリカのデマにだまされるな。
デマを吹く奴は留置所にぶちこむぞ 」
と嚇(おど)したのである。
しかし、少数の人々は、 退避したにちがいない。
かの皇室、かの時の政府、かの時の軍隊は
国民の味方にあらずして、
アメリカの味方であったのだ。
もう一遍を追加しておきます。 やはり引用です。
朝日新聞はなぜ原爆投下の日
を
「 平和到来の日 」と書いたのか
8/4(火) 6:05配信
デイリー新潮
有馬 哲夫(ありま・てつお)
早稲田大学社会科学総合学術院教授(公文書研究)
GHQが日本人に対して行っていた
「 心理戦プログラム 」
朝日新聞
は、
ある時期以降は反米的な論調も目立つようになります
が、
占領下において
は
きわめてGHQにとって使いやすいメディアでした。
別の文書でも、極東国際軍事法廷での
検察側の最終論告の全文を掲載するよう促す先
として、
わざわざ朝日新聞の名を挙げています。
実際、
その記事は掲載されています 。
なぜ
「 原爆 」 を 「 平和 」 と言い換えたのか
戦争は8月15日で終わったわけではない。
占領後もアメリカは日本に対する心理戦を継続していた。
彼らはメディアを支配し、
法や制度を思うままに変え、
時に
天皇までも利用して目的を達成していったのだ――
有馬氏はこう続ける。
「 広島や長崎に現在もある施設などには
『 平和 』
という言葉が目立ちます。
広島の資料館は『 平和記念資料館 』…
原爆投下地にあるのは『 平和の鐘 』。
長崎は 『 原爆資料館 』 ですが…
作られた像は
『 平和祈念像 』 で、『 平和公園 』
の
中にあります。
原爆
という言葉によって、
占領軍への憤激や恨みの気持ち
を
再びかきたてられるのをおそれて、
こういう言い換えを強いたのです。
しかも…
この種の記念館の説明パネルの多く
は、
アメリカの言い分をそのまま紹介しています 」
ここで公平を期しておけば、当時、
GHQの意向に従っていたのは朝日新聞だけではない。
すべての言論機関、 メディアは検閲され、
アメリカにとって都合の悪い情報
を
発信することができなかったのだ。
問題は、
WGIP開始から70年以上経った
今もなお…
その影響が日本人に見られることだ、
と
有馬氏は言う。
――以上です。
「 雪月 剛のブログ 」は181、パート112へとつづく------------
2020年8月16日
雪月 剛(ゆづきごう)
――以上がリブログ………
ありがとうございました。