お酒に合うお気に入りのおつまみ教えて!
アルコールがダメな私はお酒が苦手……
それでも…もしも…
口にしなければ許さんと言われる
なら――
洋酒だったらドラマン…
日本酒なら菊姫か??
剣菱も好いかな!………
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2024年8月10日(土)
こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。
今日も今朝アメーバさんより寄せられている
「 雪月 剛のリブログ 」……
〈 原文に段落行間隔らの改定を施しています… 〉
どうぞ
よろしくお願いいたします~~~
2023年8月10日(木)
2022年8月10日(水)。
今日は2021年8月10日(火)。
今朝も、アメバさんより
「 雪月 剛のリブログ 」が届けられています――
ですが、
きょうはちょっとばかり変則気味でありまして
実質
一昨年の2019年8月10日のリブログとなっています。
何卒 よろしくお願いいたします―――
それではリブログに~~~
雪月剛のブログ6
私たちの戦争1
- テーマ:
- ブログ
この度も、アメーバさんより
リブログ
(丁度1年前8月10日)
の
ご案内がきていましたので、
前回同様、
遠慮なくここに活用をさせていただきます。
意味合いがちょっと違ってしまうのかも知れません
が、
今日は、山の日なので、
山にさけぼうキャンペーン引き続き
の
投稿ともさせていただきます。
こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。
今回は拙著三作目にあたる、
本名 都築勝義
を、
ペンネーム 「 雪月 剛 」 と変換した
『 教祖と謂われる男との戦い――私たちの戦争 』
より抜き出した
「 はじめに 」
から
始めてゆきます
( 文書は、 「だ、である調」 を用いています )。
殊に主張したい箇所は 前回同様で、大文字にしておきます。
-------では
はじめに
タイトル 『 教祖と謂われる男との戦い――私たちの戦争 』
の
「 主人公 『 渡 』」 と出遭って以来
私たちは
一般的な生活とは全く懸け離れた本当に数奇な運命を辿ることになった。
「 渡 」 を語るに
実に
様々な想定が捉えられるが本当のところは未だ解っていない。
ひょっとしたら私たち
が
ただただ単純に騙されているだけでいるのかも知れない。
[ 私たちというのは 私こと雪月、そして妻ミツコ、それに私たちの子供二人 ]
他の宗教界の総師と謂われる人らは人間の域内にあって
それは私にでも解る…
だが
「 渡 」 を量るに 「 渡 」 は精神異常なのだろうか?
と
疑うほどに不可思議で不明だ。
そんな
「 渡 」 との奇遇は宿命運命というしか他なく
「 教祖と謂われる男[ 渡 ]との戦い 」
に
入ってから既に二十数年が経とうとしている。
だが
長いと思ったことはこれまでに一度もない…
あっという間の時間、出来事である。
今現在であっても
「 渡との戦い 」 を基因として様々な戦いの延長線上にいる…
現実には
殆どあり得ないような戦いを強いられて来た中
で
私たちは人間の極地を学び視ている。
実に多くの学者の方たち
が
沢山の資料の山の中から調べ挙げ評論した論説とは全く違った、
私が綴って往くお話の総て
は
本当にある怖い出来事、実戦ばかりであり
「 論説を構築 」 とした類(たぐい)ではない。
論説、及び資料、物語らの構成、
それは
それで人間に取って大変に貴重な参考書となるものであって
決して
軽んじるとか否定をするつもりは全くない。
だが、
ともすると頭でっかちとなり易く感覚の麻痺(まひ)を招き易い。
判り易くいえば、 竹刀剣法の試合
と
実際に生命(いのち)が懸かった真剣を持っての勝負との違い…
その差である。
危険は共に生じるが内容は天と地ほどの別物。
決して偉そうにいうのではない。
嘗て
私が生業(なりわい)としていた水産業界に措いて
私が
師としていた大村隼人氏との関係により縁を以った
東京大学教授らとはよく論議をした。
学術書なども沢山出版していて
誰でも簡単に出来ることではない高尚な仕事をされている…
一般的にいえば雲の上の人たちばかりである。
だが、
とても不思議な現象ではある
が、
皆さん殆どに共通していえることは
実戦がカラッキシ駄目だという実体である。
実際の現場での戦いになる
と
まるでさっぱり疎(うと)く適切な対処が執れない。
水産試験場などでもその例に漏れない。
私だけの個人的な見解でいう
と
大概は
それで私自身が疎まれるようになって往く
「 威張れなくなるという単純明快な理由がそこに生じるからである 」
厄介なことに私が無肩であることが余計にそうさせた。
残念ながらそれが現実であり、
そして
驚くことにそうした人が実に多かった。
竹刀と真剣の違いもある
が、
もっと重要となる真剣と銃の違いが更にある、
と言おう。
刀剣は
相手を倒す返り血を浴びるほど振りかざす手に手応えが来るものであろう。
自分の身体にだって相手の剣で切られる可能性が大だ…
本当に身体と身体のぶつかり合いだ。
だが、銃使用となる
と
同じ殺し合いではあっても様子が全く異なって来る。
それは
双方との間に〖 空間 〗 があるからである。
譬(たと)えれば、
撃った弾が流れ弾となり何処かで誰かに命中した…
そこで
その人が死んだという場合になって
も、
その銃を撃った人が全く知らずにいた
ら
殺人の自覚など生じる分けがない。
そんな場面など
剣と剣の戦いでは絶対的に起こり得ない現象で
あり…
ここに
恐怖感覚麻痺が生じる 《 素 》 が出来上がる。
判り易い例かと捉え、
竹刀、 剣、 銃 の三つを比較対照として譬(たと)えて見た。
このような
感覚麻痺という危険な水域に最も陥り易い
のが
世にいう学者とか評論家と謂われる類の人たちだ
と
私は言いたいのである。
論説のための論説を筋立て見事立派に著書の完成はさせる
が…
実体の伴わない論説だけの絵空事であり
他人事の話となる。
どんなに頭脳優秀明晰であり、
天才的択一した言葉の羅列、組み合わせを以って完成させたとして
も
それはただの空論の創作物 。
自分は常に危険水域外の持ち場にいる人。
本稿に「 東京朝日 」誌1937年11月、
「 弓と鉄砲 」よりの一部分を引用させて貰っている
が
その著者、
物理学者中谷宇吉郎氏なる人物
が
昭和20年10月1日にも 「 原子爆弾雑話 」
を書いている…
その中にある大変に貴重な一文3~4行をここにも引用しよう―――
〖―――その間にあって英米両国の原子方面の科学者たち
は、
《 まるで戦争など何処にもないかのように、》
宇宙線の強さを測ったり、
原子の崩壊に伴う放射線の勢力の測定をしたりしていたのである。
――云々 〗
私はこれまでに大勢観ている…
常日頃は勇猛果敢に見える立派な弁論を振るっている人
が
イザ自分自身が窮地に立たされた時機(とき)
思考も動きも文字通りにまるっ切り固まってしまって
人形のようになった人たち
を――――
人間は殊の外 宗教を畏れるものらしい、
私たちは 「 渡 」 を宗教家とは知っている
が
宗教家として接したことは初めから一度もない。
あく迄も人間として尊敬をしていた。
私たちは誰もが畏れる
そんな
宗教家という人物に対し面と向かって戦って来た。
「 渡 」 を 『 教祖、生き仏と定義する新興宗教 釈万寺集団 』
は
この私のこと
を
〖 我が教祖様を貶めた大悪党 〗 としたいようだ。
だが 「 渡 」
が
私たちに犯(や)っている真相真実は真っ向からの真逆…
紙一重の犯罪擬(もど)き。
仮に 「 渡 」
が
どんな目的趣旨を以って行(や)っておろう
とも
間違いは間違いであって、罪は罪だ。
私たちに対するその遣(や)り方
も
一般社会で暮らす人には到底理解不能であり尋常な貶め方ではない。
「 宗教家なんかと戦うから呪いでも懸かっているのではないのか 」
と
他人(ひと)に畏れられるほど一般社会の通常では絶対にあり得ない
《 雪月養魚場連続襲撃刑事事件 を筆頭
に
年月を経た戦いの数々
[ 私たちが崩れ折れてしまった
なら
今にでも闇から闇に葬り去られる事件 ] 》
が
現在(いま)もなお横行…
未だ連綿と延長線上にいるのである。
自らが
臨んで戦っているものは今までに一つもない。
総て
相手が勝手に仕掛けて来る事件ばかりである。
「 渡 」
が
単純明快に明白な唯のイカサマペテン師だと判っていたならば
人道に悖(もと)る「 渡事件 」
発生に、
当然に
刑事告発らを以って徹底的な糾弾をしていたのは言を俟(ま)たない、
だが何故か…
私たちにそうはさせない何ものかがあった。
洗脳とか幻覚とかいったような狭小な代物ではない…
得体の知れぬ何か不可思議な力に拠って
「 渡 」 に対し、
ただの罪人扱いとするような責め方が出来なかっただけだ。
決して
大袈裟に表現する分けではない。
どのような角度から捉え見たとして
も
不可思議な現象としかいえないのだ。
そして
「 渡 」 との事件を契機にして…
次々と襲い掛かって来る諸事件と戦う中…
タイトルにした
《 教祖と謂われる男との戦い 》
が
終には人類
[ 古代以来の我が日本民族を始め 地球上にある全人種をいう ]
の
根源にまで衝(つ)き当たらせたということだ。
特異稀なケ―スではあろう
が
私は学者、 評論家 、政治家 の類でも何でも全くない。
犯罪被害者の立場に置かれたまま
に
人類の本質を診なければならなくなってしまったという運命を持った
人間である。
「 教祖と謂われる男、渡 」 に拠り何もかもを捥(も)ぎ取られ、
剥(は)がされ――
素っ裸にされた挙げ句の果て
の
私に残されたかと思われる…
惨状からの脱出が臨めるホンの小さな隙間(すきま)を見付けた!?
それは綴るという自由であった。
である理由から…
脱出への可能性に賭けて
〖 私たちの戦争 〗…
その全真相 全真実を広く 社会に訴えよう
と
ここに綴ることにした。
--------以上です。
続きは次回に----------
2019年8月9日
雪月 剛(ゆづき ごう)
キャンプに行ったことある?
遥か昔! 何事もなかった、遠い記憶の彼方のことです。
▼本日限定!ブログスタンプ
――以上がリブログです。
長文を
まことにありがとうございました。