一番好きなナッツは?
ナッツ類はあんまり好みではないのです
が
アーモンド、クルミ、カシューナッツはほとんど毎日……
ピーナッツはナッツ類には入りません
が
同じくほとんど毎日食しています……
私の場合―――
▼本日限定!ブログスタンプ
2024年7月22日(月)
こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。
きょうも今朝アメーバさんより寄せられている
「 リブログ 」……
〈 原文に段落行間隔らの改定を施しています…
ブログ中にある
「 オッペンハイマー氏 」
は…
少し前に
アメリカ映画アカデミー賞受賞
で
ふたたび社会的話題浮上…騒然!!……… 〉
2023年7月22日(土)
2022年7月22日(金)。
実験どころではない!!
実際に原爆を落とされた街―――
1945年8月6日〈 ヒロシマ 〉
と
8月9日〈 ナガサキ 〉!!
2020年の同日が間もなくやって参ります。
核の時代の夜明け、
そして、
二度と来る必要のない場所--------
テーマ:
『 日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!?』
新パート13
「 雪月 剛のブログ159 」パート90
前回、
ソフトボール大のプルトニウム!
トリニティとは三位一体の意という
-----の
つづき
では―――――
核の時代の夜明け
実験は、
7月16日午前4時に予定されていた
が、
前の晩の雨の影響で遅れていた。
オッペンハイマー、グローブ、ベインブリッジら
は、
渋い顔をしていた。
軍事的理由から、
これ以上遅らせるわけにはいかないという焦りもあった
が、
キャンセルとなれば
ワイヤーの大部分を取り外さなければならない。
23キロ離れた丘の上では、
フェルミの他に、物理学者のエドワード・テラー
や
リチャード・ファインマンといった重要人物も実験の開始を待っていた。
他にも、見学者のなかには、ドイツ生まれの英国人物理学者
で、
実は
ソビエトのスパイだったクラウス・フックスの姿もあった。
新たな開始時間は、5時半に決まった。
現場から
南へ8キロ離れた倉庫で、オッペンハイマーが秒読みを監督した。
スピーカーから秒読みの声が流れ、全員が渡された溶接ゴーグルや、
溶接用ガラスを段ボールにはめたものを準備した。
爆発を直接見てはならないという命令だった。
最初の爆発が起こった後で、向き直って見ても良いと言われていた。
スピーカーの声が届かない遠くの丘の上で待っていた人々は
すっかり待ちくたびれて、5時半になる頃には背を向けて
自分の車へ戻ろうとしていた。
その時、辺り一帯がパッと明るくなった。
核の時代の幕開けを目のあたりにした人々の証言は、
驚くほど一致している。
突然
昼間の太陽よりも明るい光が差して、すぐそばの藪から遠くの山
まで、
谷全体が照らし出された
が、
真っ白な光
は
その
後ろに広がる闇と鮮烈なコントラストをなしていたという。
光のなかで
卵のような左右対称の固まりが一瞬のうちに膨れ上がったかと思う
と、
すぐにつるんとした形は崩れて
混乱した雲となり、
そこから火の柱が上昇した。
それは空の上で広がって、映像などで見慣れているキノコの形になった。
ほんの数秒間、
雲の中を照らした奇妙な紫の光
は、
塵のなかを制御不能になって飛び交う放射線の輝きだった。
その後、温度が下がって雲全体がオレンジがかった赤色に変化した。
「 笑っている者もいれば、泣いている者もいました。
けれど、
ほとんどの人は沈黙していました 」
と、
オッペンハイマーは後に語っている。
「 そのとき、 ヒンドゥー教の経典
『 バガヴァッド・ギーター 』
の
1節が頭に浮かびました。
『 私は今、死となり、
世界の破壊者となった 』 」
2度と来る必要のない場所
私は、ホワイトサンズ
の
広報担当者ドリュー・ハミルトン氏に案内されて、
トリニティ実験場を訪れていた。
ゲートを入って、わずかに下方に傾斜した砂漠を徒歩で降りると、
ガジェットが爆発した現場に到着した。
爆発でできたクレーターは、意外と浅い皿状のへこみだった。
最も深い地点でも、わずか3メートルの深さしかない。
爆弾は塔の上に置かれ、地面から爆弾までは30メートルもの距離があったからだろう。
立ち上った柱と巨大なキノコ雲のほとんどは、
砂漠の砂だった。
爆弾を乗せた塔も、数百メートルの銅線
も、
もちろん
ガジェット自体も空高く吹き飛ばされて消滅した。
ガジェットのなかに入れられた
重さ5.8キロの核物質のうち、
実際に純粋なエネルギーに変換され、
TNT火薬で21キロトン分の破壊力を持つ爆発を引き起こしたもの
は、
紙クリップほどの質量しかなかったと推定されている。
爆心地跡
には、
高さ3.6メートルの黒い溶岩でできた記念碑が建てられていた。
1960年代半ばに、ホワイトサンズ
の
東の外れに広がる溶岩原で掘り起こされたものだそうだ。
記念碑には
「 トリニティ跡地、
1945年7月16日に世界で最初の核爆弾が爆発した場所 」
と書かれ、
その下には
「 国定歴史建造物 」 と書かれている。
エクレス氏
は、
トリニティ跡地をベツレヘムに次いで
世界にとって
重要な土地だと言い張る上官がいたと話してくれた。
ベツレヘムと言えば、キリスト生誕の地である。
何を馬鹿なという気がしないでもないが、
よく考えてみれば、
現代世界はここから始まったと言えなくもない。
1945年以降のあらゆる国際紛争、 あらゆる冷戦の悪夢、
核に怯えた指導者による妄想じみた
軍拡競争…
事故が起こるたびに自滅へと一歩近づく人類…
教室の机の下に隠れるだけではすまないのではないか
と
疑う子どもたち。
トリニティ実験がもたらしたものは、
これら全て
に、
焼け焦げたつる草のように取りついている。
「 多くの人たちが、この場所を訪れる機会を
ずっと待っていたんだと言います 」。
ゲートを閉めながら、ハミルトン氏はそう言った。
「 でも私の経験から言うと、
トリニティは1度訪れれば
もう
2度と来る必要はない場所なんですよ 」
なぜなら、
トリニティ実験場は、その人にも取りついてしまうためだ。
文=BILL NEWCOTT/訳=ルーバー荒井ハンナ
次回
「 雪月 剛のブログ160 」 パート91
は…
比較対象である
デイビット・J・ディオニシ(1963年~)氏の話となる。
2020年7月22日
雪月 剛(ゆづきごう)
――以上がリブログ……
まことに
ありがとうございました。