好きなかき氷の味は?

 

今年はまだ味わっておりません

が……

 

私の場合―――

 

何といっても〖 せんじ 〗という…とてもシンプルなかき氷ですね!

 

「 せんじ 」とは

私が在する東海地方だけの呼び名のようであり

一般的には

 〖 みぞれ 〗、〖 すい 〗、〖 甘露 〗

だそうであります……

 

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2024年7月25日(木)

こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。

 

今日も今朝アメーバさんより寄せられている

「 リブログ 」……

 

〈 原文に段落行間隔らの改定を施しています… 〉

どうぞ

よろしくお願いいたします~~~

 

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プルメリア

 

 

 

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画像 【1385字】少し前の事と思ったら〇年前だった|元カノとの交際時期 の記事より
きょうもアメバさんより、

 「 雪月 剛のリブログ 」のお報らせをいただいています。

ほんとうに 

いつも いつもありがとうございます。

 

第二次世界大戦 日本国大敗戦日と同じ

8月15日が近づいてきています―――――

〈 八月六日と八月九日は当然に!! 〉

 

今朝8時より始まる

TBSのサンデーモーニングを視聴をしていて

これは

適切な意見だと捉えられる言論に出合いました。

 

そして、即、

ネットの方でも取挙げられていました。

 

ただ今、

好視聴率中の羽鳥モーニングショウのコメンテーターを外れた

と聞く

青木理氏という人物の言論です―――

 

権力者支配層の圧力が最も強くかかる

メディア、

テレビ局の中においては、

 

至極当然の道理ではあったとして

も、

 

中々に勇気要る発信であると受け取られます。


折角発信されたネット記事ですので

 

「 雪月 剛のブログ(リブログ) 」

にも早速の引用掲載、

記録をさせていただいておこうと存じます。

 

では、

雪月 剛のリブログに進む前に―――


青木理氏、

生放送で東京五輪開会式

「 がっかりした 」

7/25(日) 8:51配信

スポーツ報知

青木理氏

 

 ジャーナリストの青木理氏が

25日、

コメンテーターを務めるTBS系「 サンデーモーニング 」

(日曜・午前8時)

にスタジオ生出演した。

 

番組では、23日の開会式、

柔道男子60キロ級で高藤直寿が金メダルを獲得したこと

など

 

東京五輪について報道した。

 

青木氏は開会式

「 僕は、がっかりした 」

振り返り

 

「 シンプルと言えばシンプルなんだけど

今、

日本が何をメッセージとして発したいのか。

 

多様性と調和って書いてある

けど、

開会式自体では、そうだったのかもしれないけど、

 

その他の1週間で起きたことを考える

と、

 

とても

多様性と調和とは言いがたいというのが現実としてはあった 」

 

指摘した。

 

 さらに

 

「 振り返って見る

と、

 

なぜ

2020年に東京にオリンピックを呼ぶのかという理念

そもそも本当に薄かった。

 

あえて言えば

1964年へのノスタルジーみたいのもの。

 

よかった時代をもう一度 みたいな程度のもので、

 

そのために例えば

復興とかコンパクト五輪とか言ったんだけど。

 

今やそんなものは跡形もなくなっちゃって。

 

エンブレムの盗用、贈賄疑惑もありましたけど、

 

例えば組織委員会のトップ

女性に対するあからさまな蔑視で辞めてしまう。

 

障害者に対する犯罪的ないじめが発覚してお辞めになる。


それからユダヤ

とか

歴史認識に関する恐るべき無理解が次々に出てきてしまった。

 

これに関していう多様性と調和

今の日本の現状が残念ながら表沙汰になった気はします。

 

コロナの中の強行も含めて今の日本の状況を表している 」

指摘した。

 

続けて

 

「 五輪が無事に終わっても

この

問題は消えてなくなるわけではありませんので、

 

五輪の後もこういう人権意識、歴史認識をきちんと問い直して、

 

世界に通用するよう

歴史認識、 時代認識、 人権感覚を取り戻さない

と、

 

ちょっと

 

取り返しのつかないことになるんじゃないかな

というような

危機意識を感じる1週間でした 」

 

コメントしていた。

 

報知新聞社


 

 それではリブログです~~~ 

よろしくお願いいたします。

画像 #日本を見ていて憂うこと の記事より

テーマ:
 

『 日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!?』

新パート16 
「 雪月 剛のブログ162 」パート93

 

前回、

今日はスポーツの日、 身体もだが、 さあ! 心も鍛えようよ!! 

 

『 国民の過半数が原爆投下を支持する

アメリカ、

           10歳少女ヒデコの被爆でも変わらない意識 』

 

( 今回の一冊 『Countdown 1945』

筆者 Chris Wallace, Mitch Weiss

 出版社 Avid Reader Press   森川聡一氏 )    

 

 ~~~  のつづき


被爆者の体験も紹介する

 

 ただ、

本書に限っていえば、うれしい驚きもあった。

 

この種のアメリカのベストセラーには珍しく、原爆を落とされた被害者

  視点も盛り込んでいるのだ。


 広島で

10歳の時に被爆したタムラ・ヒデコという女性に取材

し、

その体験を紹介している。

 

  もちろん、

被害者の視点に割くページ数は圧倒的に少ないとは

いえ、

 

アメリカの類書が一方的に日本軍を批判する傾向があるのに

比べ、

  

本書はまだ良心的ともいえる。

 

 被爆者として

苦しい経験をしたタムラさんの次のような体験も紹介する。


 At age seventeen, 

Hideko worked up the courage to end her own life.


She stood on the platform at the train station,

  waiting to leap in front of the incoming locomotive,

 but

 it shrieked to a stop just before it reached her.


An elderly man had thrown himself in front of the same train

 several yards ahead.


 ヒデコは17歳の時に、自ら命を断つ決心

をした。

      

 駅のプラットフォームに立ち、

入ってくる汽車の前に身を投げるため待ち構えた。


 ところが、

機関車は汽笛を鳴らして寸前のところで止まり

ヒデコのところまで来なかった。

 

数メートル手前

で、

  一人の老人が同じ列車の前に身を投げたのだった 


 タムラさんはその後、アメリカに渡り大学を出て、

今も現地に住んでいる。

 

本書はそんな彼女の思いも次ように伝える。


 Dr. Hideko Tamura Snider says she knows she can't change the past.

She came to the United States because of the educational

 opportunities at the time.


 And although the memories are still raw,

 she tries not to be bitter about what happened.


 That's why she's become a peace activist.


  She never wants anyone to experience her pain.


「 ヒデコ・タムラ・スナイダー博士は、過去は変えられないと言う。

  

 その当時、

教育を受ける機会があったからヒデコはアメリカに来た。


 そして、

記憶はまだ生々しいにもかかわらず、

  

 ヒデコは起きたことに対し怒りを持たないようにしている。


 だからこそ、

彼女は平和運動家になった。

   

自分と同じ苦しみを他の誰にも経験してほしくないからだ 」


 さらに、

 

本書の末尾に出てくる謝辞では次のように広島

原爆ドームにふれ、

 

原爆が起こした悲惨な被害への配慮をうかがわせる。


 The story of the U.S. decision to deploy the world's first atomic bomb

cannot be told without showing its devastating impact on Hiroshima.


 The stunning pictures of that city’s “atomic bomb dome,”

 which was located almost directly underneath the explosion,


 yet somehow escaped complete destruction,

helps show what happened there.

 

Thank you to Rie Nakanishi of the Hiroshima Peace Memorial Museum

for allowing us to use those images in telling

 this important part of the story.


  The museum, which opened on August 24, 1955,

 holds some of the personal belongings of the victims,

and

 hopes to encourage its visitors to advance nuclear disarmament

 and 

peace in the world.


 「 アメリカが世界で初めて原子爆弾をつかった歴史

は、

広島に与えた壊滅的な打撃を抜きにしては語れない。

   

広島市の原爆ドームの驚くべき写真

は、

そこで何が起きたかを知るのに役立つ。


 爆発のほぼ直下に位置しながらも、なんとか倒壊を免れた建物だ。

 

広島平和記念資料館のリエ・ナカニシさんのおかげ

で、

 

こうした写真

を、

  歴史の重要な瞬間を描く際に使えた。


  お礼を言いたい。

 

この資料館

1955年8月24日にオープンし、被害者たちの遺品を所蔵している。


  そして、

核兵器の廃絶と世界平和を来館者たちに訴えている 」

 

筆者たちは執筆のため勉強するうち

に、

原爆が引き起こした非人道的な被害を知り、

 

内心は

原爆投下の正当性に疑問を持ち始めたのではないだろうか

と、

     憶測したくなる。


原爆を投下したあとの後日譚の部分で、アメリカにおける

 

広島、長崎へ

  原爆投下に対する見方の変化も記しているからだ。


 これも、

過去にベストセラーとなった類書にはみられない傾向だ。


例えば、

原爆を投下した直後、

   

 アメリカ政府が情報統制を敷き、
 

ほとんどのアメリカ人は原爆による被害

理解していなかったという。


 原爆投下から1年たった

1946年8月末に、

 

米誌ニューヨーカーの記者

     スクープ報道して初めて、

 

被爆者の実態がアメリカで広く知られたという。


 アメリカでは放射線による被害

否定するかのような

 

情報操作も行われたようだ。 

こうして世論を誘導してきた歴史

が、

 

いまの

アメリカ人の原爆に対する認識に影響している可能性

冷静に本書は指摘しているわけだ。


本書のエピローグの末尾では、次のように記している。

 

 この部分を、 すべてのアメリカ人が読み、

少なくとも、

その事実の重みを理解してほしい。


But seventy-five years later,

  only one nation has ever used

the weapon in war.    The United States.


「 しかし、75年たった今でも、 たった1つの国

しか

     

 戦争で 

 

その兵器(核爆弾)をつかっていない。

  

 それはアメリカ合衆国だ 

 

 森川聡一      

 

  つづきは「 雪月 剛のブログ163 」パート94へ----------------


   2020年7月25日              


               雪月 剛(ゆづきごう)

 

七夕2020_私のお願い事

 

――以上がリブログ……

               長文を

          まことにありがとうございました。