貯まった貯金の使い道は?

 

再度言わせていただくものです――

 

私の場合―――

 

このご質問は…愚問となりますね!!………

 

( 雪月 剛のブログを一度でも視ておられた

なら

キッとお分かりになっていただけるはず…… )

 

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 2024年7月1日(月)

こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。

 

今朝アメーバさんより寄せられている

今日二編目の「 リブログ 」……

 

どうか

よろしくお願いいたします~~~

〈 原文に段落行間隔らの改定を施しています…

画像 ビートルズ日本来日時の、貴重な体験ですよね! の記事より

みんなの回答を見る

 

 2023年7月1日(土)

画像 #理不尽だと思ったこと の記事より

今日より2022年も7月1日(金)。

 

____________________


  今日より2021年7月1日(木)。

 

大先達たちの警告を彷彿(ほうふつ)とさせるネット記事がありました

ので

 ブログ字数の制限から、 

参照:

にと 

見出しだけを附記をしておきます。

 

捕逮相次ぐ霞が関にマスコミが大甘な理由、「諸悪 の根源は菅首相」という欺瞞

7/1(木) 6:01配信

196

ダイヤモンド・オンライン

(ノンフィクションライター 窪田順生)

窪田順生

● 官僚たちの「 虚偽答弁 」は常習!? 

90年代の大蔵省時代もモラルに欠けていた

● 組織の不正カルチャー、モラルの低さは 上司から部下へ引き継がれる

● マスコミにとって政治家よりも官僚の方が大事な情報源――――

らゝ

 

東京五輪強行開催と太平洋戦争に類似点 

「 楽観論 」に「 頻繁に変わる大義名分 」

〈 AERA 〉

7/1  (木) 7:00配信

583


AERA dot.

(編集部・野村昌二)
※AERA 2021年7月5日号より抜粋

コメント欄より~~

 

「 主権 」は国民にあるはずなのに、

なぜか国会が内閣、行政

望むべき方向へ世の中が動いていることが問題と思います

 

これに完全に「 マスコミ 」が情報統制され、

「 五輪開催バンザイ 」論調一色となれば、

完全に戦前、戦時中と同じ状態と思います 。

 

ホント、

戦前も戦後も反対する意見を封殺する社会の風土があるよね。

 

そしてオリンピックが始まったら、

マスコミ連中が感動の押し売りをし始めて、本当にオリンピック~~~

(編集部・野村昌二)
※AERA 2021年7月5日号より抜粋

 

―――以上です。

 

ただし、

 

日本国には根本的〈 絶対的というか!〉に異なっている

背景があります――――

 

第二次世界大戦戦勝国アメリカ

真のテッペンに鎮座ましましていることです。

 

それではリブログです~~~

 

大変に長文とはなります

が、

どうかよろしくお願いいたします――

 

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テーマ:

今日は第一次世界大戦の日、

今、あなたは幸せだと思う?

 

 とっても難問ですね!? 

 だって

〖 幸せ 〗って味覚も嗅覚も感じなければ、

 

何の色も付いていませんもの!

 

その昔より、「 一寸先は闇 」 とか 「 一期一会 」 

或いは

   「 あしたには紅顔 夕べに白骨と化す 」 とかいう言葉が示す

通り、 

人間も生命体である以上、先に何があるか全く分らないのです。

 

ですので、

 

私が幸せだと感じるときは家族皆でおられる

とき、 
 一瞬一瞬でしか味わえないものです

が---

 

そして、

知ってるみんなが無事で過ごしておられる

  とき-------

 

 

『 日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!?』

 新パート18 
「 雪月 剛のブログ165 」パート96

 

 前回は、 

真相が明らかになるのはいつの日か-------!?

でした。 

 

やはり、

以前にも、「 雪月 剛のブログ 」で扱ってはいるのです

が、

 繰り返し過ぎるというような課題ではない、

大先達…

 

〖 松浦総三の仕事 〗

の続行です。

 

では――――

 

194頁、
 

松浦総三氏の紹介本

『 占領軍検閲雑誌目録・解題 』(奥泉栄三郎編、雄松堂)、

   (古川 純・奥泉栄三郎

『 東京経済大学会誌 』109・110号併合)。

 

第三部   十五年戦争下のマスコミと言論統制 
208頁~  

 

第十一章  戦時下の報道統制――

太平洋戦争と報道 

        

ミッドウェ―海戦               

222頁 

事実を報道するたたかいにも敗れた

224頁 

 ~~日本側の被害をひたかくしの大本営の官僚的発表

軍国主義に100%協力した日本新聞にくらべて、

 

アメリカ側の何と自由でおおらかであろうか。

太平洋戦争は、

事実を報道するたたかいでも、日本は大敗したといわねばならぬ。

 

 報道を統制した天皇の軍部

官僚は国民を怖れているかナメていた。

反対にアメリカ側は国民を信頼していた。

 この点では、

今日(こんにち)になっても、日本のマスコミ

は、

 そう戦前とかわっていない―――

225頁~226頁 

      日本デマ戦果に狂奔する大本営                          

 

~~ この報道は勝者の優越さやオ―バ―なところはすこしもない。
報道されていることには、嘘は殆どなく、むしろ控えめでさえあった。

たとえば 

「 何千もの人々が焼死し 」 と書いてある

が、

   3月10日の空襲では10万人が一夜で死んでいるのだ。・・・・・・

~~ デマ戦果の世界戦史上最高のチャンピオン

    台湾沖航空戦だろう。 

 

アメリカ側の発表による

と、

B29の喪失は1945年7月末まで149機なのにたいして、

  大本営発表は455機撃墜、495機撃破となっている。

現在50歳以上

〈 注:1984年出版とあるから最低でも、2020年のいまは86歳以上となる! 〉

の日本人なら

 

”大本営発表”という言葉は嘘と同義語

として、

      敗戦直後に流行したことを知っているだろう。                            

 

227頁、 

なぜ、

  日本の大本営は世界史上最大の嘘をつくことができたか。             
 

理由は、

これまた世界史上最高の無責任体制である天皇制軍部の勝手にはじめた

侵略戦争に、

 反対する世論がまったくなかったからである。

 

228頁 

    ”空の護り”の報道統制の研究                   
      報道がフィクションに     
        

戦前の日本の言論弾圧の体系

は、

不敬 [ 天皇制批判 ]、不穏 [ 体制批判 ]、風俗[ セックス ]

三つの柱からなっていた。~~~

229頁
軍事機密や  ”空の護り”  については、言論史の研究者は

  あまり言及していない。
しかし、

戦中の私たちをしばっていた26個におよぶ言論統制の法令をみてゆく

と、

その半分以上が  ”空の護り”  に関係があることかわかってくる。

 刑法、 治安警察法、 警察犯処罰令、 治安維持法、 

言論・出版・集会・結社等臨時取締法、

  思想犯保護観察法(以上は治安・警察関係)。

戒厳令、 要塞地帯法 、陸軍刑法 、海軍刑法、 軍機保護法、 

  国家総動員法、 軍用資源秘密保護法 、国家保安法、 

戦時刑事特別法(以上は軍事・国防関係)。 

新聞紙法、 新聞紙等掲載制限令 、出版法、 

 不穏文書臨時取締法(以上は新聞・出版関係)。

臨時郵便取締令、 電信法、 無線電信法、 大正12年逓信省令第89号、 

 映画法 、映画法施行規則、 

広告取締法(以上は郵便、放送、映画・広告関係)。

 右の法令のうち太字で書いたもの(省略をした)

は 

 ”防空” を 統制しうる法令である。
 

 いかにその数が多いかわかるだろう。

これだけの数多くの弾圧法規がある

と、

事実の報道や評論は不可能になる。
 

事実の報道が不可能となるということ

は、

何も報道されないということではない。
 

報道や評論が、

全部フィクションになるということである。

つまり…

天皇らの支配層や軍国主義者たちの思い通り

  メディアになるということである。

< 私、雪月(ゆづき)の初めての本、

『 告発 日本国民に告ぐ 』

地元中日新聞に掲載された

     桐生悠々氏についての社説をソックリ載せている理由

から 
 

この

松浦総三氏の本に掲載を識り、また改めての衝撃を受けた!! >

229頁~230頁 
桐生悠々「 関東大防空演習を嗤う 」
一地方紙『 信濃毎日新聞 』 の 「 評論 」 欄…

 

「 関東大防空演習を嗤う 」

 (1933年8月11日)~~~

1945年3月10日、アメリカ軍に拠る東京大空襲

  10万人が一夜にして焼死した!

11年7か月前の予言、予告!!

 ~~若し敵機を、帝都の空似迎えて、撃つというようなことがあったなら、

       それこそ、

     人心阻喪の結果、我に或は、敵に対して和を求めるべく

       余儀されないだろうか。

~~~敵機を迎え撃っても、一切の敵機を射落とすことは不能

~~~その中の二三のものは

~~~帝都上空に来たり、爆弾を投下するだろう

~~~木造家屋の多い東京市をして、一挙に焼土たらしむるであろう。

~~~平生如何に訓練されていても、まさかの時には、

       恐怖の本能は如何とも すること能わず、

     逃げ惑う市民の狼狽 目に見るが如く、

投下された爆弾が火災を起こす以外に、各所に火を失し、

 そこに阿鼻叫換の一大修羅場を演じ、関東大震災当時と同様の

惨状を呈するだろう。

~~~敵機を帝都の空に、迎え撃つということは、我が軍の敗北

      そのものである。
    この危険以前に於いて、我機は途中これを迎え撃って

      これを撃退しなければならない 】

~~~あらゆるいやがらせをおこなった。
       

信濃毎日新聞社は、この圧力に屈し、

     桐生悠々は新聞社を追われた。
 

今回はここで終わるつもりでしたが、追加をします。
 

3200文字以上あり、大先達松浦総三氏文と併せたら

とても

長文となってしまう畏れで次回にと迷いました。

 

 ですが、

大先達の文章と、大前氏という方の記事とが相乗効果を齎(もたら)し

て、

当時の情況がより一層鮮明な形を以って迫って来ると感じ…

  

恐縮ではありますが、

やはり、

ここに追加、引用をさせていただくこととしました。

 

 では早速――――

 

10万人死亡「 東京大空襲 」の翌朝…

政府が何と言ったか

ご存じですか
国民を守ろうとはしなかった… 

 大前 治弁護士
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頻発する空襲を経てもなお 

「 空襲は怖くない。逃げずに火を消せ 」 

言い続けた日本政府

(前回記事を参照)

 

この方針は、

 一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにして

も、

変更されなかった。

 

 一度始まった政府方針は、簡単には修正されない。

それでも、

当時の政府方針に立ち向かおうとした議員がいた。

 

その渾身の言葉に耳を傾けて、

いま

私たちはどう生きるべきか考える糧にしたい。

 

10万人が死亡しても 「 空襲を恐れるな 」

 

1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、

約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来

し、

約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。 

 

「 東京大空襲  である。

 

現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む

   広範囲が焼け野原となった。

一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼった。

 

この大惨事を受けて、さすがの日本政府

も 

  「 逃げずに火を消せ 」 

方針を変更するかと思いきや、そうならなかった。

 

空襲の直後、西尾壽造・東京都長官(現在の知事にあたる)

  坂信弥・警視総監

も、

都民にむけた告諭で次のように呼びかけた。

 

【 東京都長官と警視総監の連名による告諭 】

 

・罹災者の救護には万全を期している。

 

・都民は空襲を恐れることなく、ますます一致団結して奮って皇都庇護

  大任を全うせよ。

 

「 恐れるな 」 など無理な話だ。

  しかし、

空襲による悲惨な被害実態はラジオや新聞で報道されず…

 

「 被害は僅少 」 

という

大本営発表が報じられたので、それを信じる国民も多かったはずである。

 

 さらに、

この日の午後7時20分、小磯國昭首相はラジオ演説

次のように国民へ呼びかけた。

 

【 小磯首相のラジオ演説 】

 

・敵は、

今後ますます空襲を激化してくると考えます。

  

敢然として

空襲に耐えることこそ勝利の近道であります。

 

・断じて

一時の不幸に屈することなく、国民が聖戦目的

達成に邁進することを切望する。

 

家族と自宅を失って慟哭する国民に対し…

 

「 空襲に耐えろ 」

 「 一時の不幸に屈するな 」 

呼びかけている。

 

これ以上どうやって耐えればよいのか…

 その方策は示されていない。

 

 2日後には名古屋、その翌日には大阪が大空襲の被害を受けた。

いずれも

約280機の爆撃機が襲来して猛烈な被害を生じた。

 

 3月15日付の読売報知には…

 

陸軍当局が示した大空襲の教訓として

「 やはり初期防火の徹底である 」 

という

勇ましい呼びかけを掲載。

 

 同日の朝日新聞は、 

「 初期防火と延焼防止 最後まで頑張れ 焼夷攻撃に怯まず敢闘 」

一面に掲載した。

---------------------------------------------------------------

 夜間大空襲の明朝に、内務省が発した命令

空襲の夜が明けて、東京に広大な焼け野原が広がった。

 

この光景をみて直ちに、

防空対策を担当する内務省が発した命令がある。

 

残念ながら、

「 避難せよ、身を守れ 」 

という

布告ではなく…

 

科学的見地から 

「 このように消火せよ 」 

という

指示でもない。

 

空襲予告ビラを所持するなという命令であった。

 

 空襲予告ビラとは、全国各地で上空から米軍機が散布したものである。

 

時期により内容が異なり、1945年7月に散布されたもの

は、

 

 このように攻撃対象都市を列挙していた。

 

米軍機が1945年7月に各地で散布した空襲予告ビラ 

(国立公文書館所蔵)

  拡大画像表示
 
なお、

ここに書かれた12都市は、1945年7月から8月にかけて

 予告通りに空襲を受けている 

(高岡市の空襲被災地域は現在は射水市内となっている)

 

予告ビラが初めて散布された

のは、

 東京大空襲の1ヵ月前、1945年2月17日であった。

 

関東から東海地方までの広範囲で、落ちたビラを恐る恐る拾ったという

 体験談が多く残っている。

 

この空襲予告を国民が真に受けると、不安や動揺が広がり、

  都市から大勢が逃げ出す事態が起きたり、

政府批判・戦争批判の世論が高まりかねない。

 

 そこで、

憲兵司令部は火消しに走った。

 

「 (ビラは)荒唐無稽だ 」 「 敵の宣伝を流布してはならない 」

    

「 発見したら直ちに憲兵隊や警察に届け出よ。 

一枚たりとも国土に存在させぬように 」

    と発表し、 

それが新聞各紙にも掲載された。

 

ところが

1ヵ月後の東京大空襲では、空襲予告ビラに書かれたとおり

  甚大な被害が出た。

 

今後も空襲予告ビラの散布は繰り返されるだろう。

  

政府としては 「 次はこの街が攻撃される 」 

という

動揺が広がるのを何としても避けたい。

 

 そこで、東京大空襲の日

に、

「 敵のビラを届け出ずに所持した者

   最大で懲役2ヵ月に処する 」

という

命令を定めてしまった 

     (内務省令「 敵の文書、図書等の届出等に関する件 」)

 

左から、朝日新聞1945年2月18日付、読売報知同年5月22日付、

  同年3月10日の内務省令

拡大画像表示
 
避難施設や消火機材の整備は遅々として進まない

のに、 

 こうした国民統制は迅速に進むのである。

 

 本来は、空襲予告ビラが撒かれたら、それを隠すのではなく、

 

むしろ周知して

 

「 この街から逃げてください 」 と知らせるべきではないか。

  

そうすれば多数の生命が助けられたのではないか。

 

悔やまれてならない。


--------------------------------------------------


焦土に立つ議事堂

で 

  「 逃げろと言っていただきたい 」

 

東京大空襲の翌日(3月11日)、午前10時9分から貴族院本会議、

 午後3時9分からは衆議院本会議が始まった。

 

議事堂の周囲

は、

1月27日の銀座空襲と前日の東京大空襲により

  焦土と化していた。

 

 貴族院では小磯首相が演説した。

 

空襲で傷ついた国民にムチを打つよう

に、

 

  「 職場に、防衛に、輸送に、国民ことごとく戦列につき、

断じて

我が国体と我が国土とを護り抜かんこと 」 

 

を要望した。

 

 各議員からの質問は、国際情勢や本土決戦をめぐり

政府を礼賛する内容が多かった

が――

 

 最後に登壇した

大河内輝耕(おおこうち・きこう)の質問は様相が違った。

 

次のように政府の空襲対策を批判したのである。

 

 政府のやることが全て後手に回っている。

 

例えば防空の問題。

 

疎開の必要性を我々は主張していたが政府は一向に聞かない。

 

 それどころか 

「 疎開する者は非国民だ 」 

とまで言いだした。

 

ぐずぐずしているうちに、昨日の被害、死傷者が出た。

 

 学童以外の疎開を制限してきた政府方針を真っ向から批判する。

 

空襲の翌日、焼け跡の異臭が漂うなか

で、

 

1人の人間として

政府の方針を批判せずにはいられなかったのであろう。

 

大河内議員は、3月14日にも貴族院本会議で登壇した。

 

大達茂雄内務大臣

3月10日の東京大空襲の被害状況

淡々と報告したのに対

し――

 

「 簡単に質問をいたします 」 

立ち上がり、次のように迫った。

  

私の質問は、 「 人貴きか、物貴きか 」 

と、

こういう質問なんであります。

 

防空施設を整えるという話もある

が、

私はこうなっては間に合わないと思う。

  

大都会が焦土化するのは時間の問題だと思います。

 

次は

東京が全部やられるかも知れない。

 

 その場合に、

人を助けるか物を助けるか、どっちを助けるかを伺いたい。
 

私は、人を助ける方がよいと思う。

 

  消防などは二の次でよいから、

身をもって逃げるということが一番よいと思う。

 

  内務大臣から隣組長など

に、

「 火は消さなくてもよいから逃げろ 」 

言っていただきたい。

 

 避難を禁止して消火義務を負わせる防空体制

根本から否定している。

 

この

大河内議員は、東条英機首相による選挙干渉を議会で批判する

など、

 時流に流されない立ち位置を維持してきた稀有な議員であった。

 

これに対し、内務大臣

は 

 

 「 焼夷弾に対して市民が果敢に健闘いたしております 」

 

「 初めから逃げてしまうということ

は、

これはどうかと思うのであります 」 

    

と答弁。

東京大空襲の惨状をみて

も、

 国民を守るための軌道修正をしようという姿勢

皆無であった。

 

何か、この頃の現代社会〈 世相 〉とよく似ているなァ

とは

  思われませんか-----!?

 

  つづきは「 雪月 剛のブログ166 」 パート97へ-----

 

     2020年7月28日              

 

                       雪月 剛(ゆづきごう)

七夕2020_私のお願い事

 

――以上がリブログ……

かなりの長文を

    ほんとうにありがとうございました。