ヨーグルトに合うフルーツは?
我が家の場合―――
まずバナナは絶対的に…あとは季節に応じ
リンゴ、キウイ、ミカン、ココナッツ、キナコ、トマトジャム、ウメジャム、
レーズン…… らゝゝ
妻お手製のカスピ海ヨーグルトに~~~
▼本日限定!ブログスタンプ
2024年5月15日(水)
こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。
今日も今朝アメーバさんより寄せられている
「 リブログ 」……
リブログにある、故小室直樹博士のかなり後輩にあたるお人たち、それも元官僚であった方々が
小室博士…ご心配通りの原体験を以って
やはり私たち国民に向かって懸命な警鐘警告を鳴らしておられるようです……
近々のホヤホヤでは社会的有名となっておられる森永卓郎氏(東京・1957年~)が
『 ザイム真理教(三五館シンシャ、2023年5月出版) 』
『 書いてはいけない 日本経済墜落の真相((株)三五館シンシャ、2024年3月出版) 』、
共著で、 鈴木亘弘氏(三重県・1958年~)と『 国民は知らない「 食料危機 」と「 財務省 」の不適切な関係 』、
2024年2月、講談社+α新書で著わしておられます。
また、やはり元官僚、古賀茂明氏(長崎県、1955年~)という方が日本国に対する警鐘警告に
それもまだ現役官僚時代だった頃の2011年5月、(株)講談社出版にて
「 経済産業省大臣官房付・『 日本中枢の崩壊 』」を著わしておられるのを知って
日本にもまだまだこんな方たちがおられるんだなァと思っているところです………
長文続きで大変に恐縮とは存じます
が
どうかよろしくお願いいたします~~~
2023年5月15日(月)
________________________
今日は2022年5月15日(日)。
ロシア・ウクライナ戦争は未だ終わりがみえず
相変わらずの惨状をニュースが伝えて来ています。
今朝も引き続きアメーバさんより寄せられている「リブログ」です。
そして
長文続きではあります
が
どうかよろしくお願いいたします。
それではリブログです~~~
____________________________
今日は
2021年5月15日(土)。
きょうもアメバさんよりいただいた
昨日、
2021年5月14日付け「 リブログ 」の続き、
昨年
2020年5月15日付の 投稿記事
を――
このところずっと、リブログの連続にはなっているのです
が、
何卒 よろしくお願いをいたします――――
それではリブログです~~~
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雪月 剛のブログ93 日本って不思議な国?
日本人って不可思議な人種!?
パート24
前回、
日本に道徳の成り立ちようがない!!
の つづき------
この度より新たに、『 小室直樹の資本主義原論 』
小室直樹著、
東洋経済新報社、1997年。より抜粋引用の論説を用いさせていただきます。
その前にちょっと------
新型コロナウィルス禍の情況下において、
私が繰り返しお話をしてきているところの
日本国行政の真の相(すがた)が鮮明に浮き彫りとされてきている
今日この頃です。
日本国有史来の第二次世界大戦大敗北に拠って、
《 日本に道徳の成り立ちようがない!!》
国
となって以来、
一億 総忖度 日本国社会――――
だがです!!
現在(いま)の権力層、支配層がどのような美辞麗句の言葉を以ってして
自分たちに取って都合の悪さを、 どんな形で覆い隠そうとして
も、
それはとても無理な相談です。
どうしてなら、ウイルスたちには人間のつくった
《 忖度 》 など 〈 ヘのカッパ 〉
全く通用しないゼロの所以だからです。
この度の新型コロナウィルス禍は人類社会に取って、
まだ
ホンの序曲にしか過ぎないのかも知れません。
早や、とゆうか、既に、とゆうか、
第二次世界大戦終了後75年が経った現在(いま)、
人類社会には
またまた不穏な生態が満ち充ちているのが世界の現状-----------
人類のこれまでの歴史が示している通り、
世の中は常に変動をしているのが皮肉にも地球上の不変であり、
どうやら新たな激動の時代が、
人類社会には
そんなに遠くはなさそうな予感がします。
これからの日本、なるようにしかならないとは思います
が、
自分の身は自分で守るしかありません。
そのためには大先達とともに繰り返しお話をしてきている
真相真実を識るしか他術はないのです。
「 その中に、自分たちの生きる道を自ら探す、それしかないよ--- 」
ということになるのでしょう----------
では――――
前期的資本が生き延びるケ―ス――日本がよい例(142P~144P)
「 資本主義 」 に前期的資本がなおも生息している経済。
余喘(よぜん)を保つどころではない。
今でも生き生きと跋扈(ばっこ)している〈 のさばっている 〉経済が
日本経済である。
日本経済は、この意味で、混合経済である。
それだけではない。日本経済はまた、統制経済との混合経済でもある。
しかも、
アメリカ経済とは比較を絶して統制経済色が強い混合経済である。
と言うわけは、 戦時統制経済の基本的枠組みが今も残っていて、それが機軸となって日本経済を動かしているからである。
これを40年(1940年)体制
または
15年(昭和15年)体制という。
このことについては、野口氏による綜合的業績がある。( 野口悠紀男『 1940年体制――さらば「戦時経済」 』東洋経済新報社。1995年 )。
日本経済は、資本主義に、前期的資本と、統制経済(社会主義とさえいえるほどの)
とが混在する混合経済である。
いわば、
三重経済トリプレット・エコノミ―(triplet economy)である。
『 大塚久雄著作集 』第三巻(29P)も参照
伝統主義からの解放(189P)
伝統主義(190P)
伝統主義(Traditionalisums, traditionalism)とは「 伝統を尊重する主義 」 という意味ではない。
どんな社会にも伝統はある。
これらの伝統は、それぞれに尊重されているであろう。
自発的に伝統を尊重をする態度を伝統主義とは呼ばない。
伝統主義とは、「 伝統 」 が有無をいわさずにのしかかり、がんじがらめに人を束縛することをいう。
伝統主義とは、伝統が、社会的事実(fait social 人間の力では動かせない社会的所与 ギヴン)
として人間行動を支配しつくすことをいう。
一言でいってしまうとこうなるが、ヴェ―バ―、大塚の言に即して正確に述べると
左のようになる。
伝統主義とは…
過去にやった、あるいは過去に行われたという、ただそのことだけで、将来における自分たちの行動の基準にしようとする倫理、
あるいはエ―トスです(大塚久雄『 社会科学における人間 』
岩波新書、1977年。127頁)。
つまり、「 過去に行われたというだけでそれを正しい 」
とするエ―トスのことである。
換言すれば 「 永遠なる昨日的なもの 」
das ewig Gestrigeのことである。
今(1995年~1996年、平成7年=平成8年)以後となっては「 理解しやすい 」 どころの話ではない。
伝統主義の呪縛が、日本人をがんじがらめにしているではないか。
日本は伝統主義に縛られている(192頁~193頁)
年金、保険、福祉という社会保障関係支出も、
社会の老齢化もあって急速に増えている。
このままでいけば、2025年の国民負担率は50%を超え、
うかうかしていると70%にまで達しよう状況にある。
こんな社会ではだれも働く気は起らないだろう。
これらの危機は、いずれも、 日本経済を支配してきた官僚制が、
制度疲労したために起きたものである。
ここまでは衆目の見るところ。
ところがその実体は。
これは、 とても、 制度疲労などという生易しいものではない。
日本経済の中枢をなす官僚制が腐朽しはてて、
腐朽官僚制 ロトン・ビュアロクラシ―(rotten bureaucracy)
となりはてたために生じたのである。
腐朽しはてたのは、 国の官僚制だけではない。
戦後日本経済の特徴は、
企業の組織もまた官僚制によって再編されたことにある。
あえて極端な表現を用いるならば、
「 一億総役人 」 になったのである。
国の官僚制が腐朽するのと、 まったく同様な法則が作動して、企業組織の 「 官僚制 」
も、
全く同様に腐朽していった。
両社の過程プロセスは同型(isomorphic)であると言ってよかろう。
では、その 「 腐朽 」 とは、どのようなかたちをとったのか。
どんな過程をへて腐朽していったのか。
それは、
「 過去の慣行へのしがみつき 」 このことから発生する。
どうしようもない 「 無責任体制 」 これであった。
日本のお役人たちの仕来たり(193頁~194頁)
日本の役所には、改善と言う思想(考え方)が全くないのである。
この大発見をした宮本政於氏は、「 役所の掟 」 について、
かの有名な議論をした後で、結論のエッセンスを一言で言う。
現在の 「 役所の掟 」 が どんなひどいものであっても、
改善と言う明るい未来がある。
(宮本政於『 お役所の掟――ぶっとび「霞が関」事情――』
講談社、1993年。250頁)
厚生省の役人は、このことを少しも理解しなかった。
理解しようともしなかった。
宮本政於氏の所説展開のエッセンスは、まさにここにある。
如何なるお役所にも、 どんな制度にも、 欠点はある、 不満な点はある。
それに決まっているではないか、 では、 それを、 「 改善したい 」 という
意志があるのかないのか。
それが問題なのである。
日本の厚生省の役人には、
そんな
意志は露ほどもないことを宮本氏は立証した。
お役所の掟は、 今までずっとやってきた仕来たりである。
” 過去にずっと ” おこなわれてきたことである。
” ただ ” それだけの理由で、 それは正しい。
疑いを容れる余地は全くない。
役人どもは、 このようにしか考えられないのである。
よい掟は尊重して、 わるい掟は改善するなんてとんでもない。
どの掟もこの掟も、 過去においておこなわれてきたのだから、
批判することさえ論外である。
「 永遠なる昨日的なもの 」 の支配、 目に見えるようではないか。
「 改善とという明るい未来がある 」 どころではない。
何人も予想を絶する暗い未来があったのだ!。
伝統主義の呪縛の恐ろしさ196頁の一部 「 正しいこと 」 をしたのだから、
罪の意識なんかありようがないではないか。
人を殺そうが何をしようが、 そんなことワシャ知らん。
死刑執行人ほどにも良心の呵責(かしゃく)なんか感じようもない。
~~伝統主義の呪縛、そのおそろしさ知るべきのみ。
~~~役所の掟・仕来たりは、所与の社会的事実(fait social)として
無条件に役人にのしかかっている。
その掟・仕来たりが腐朽して機能しなくなったのだから たまったものではない。
それらに束縛されている官僚制は腐朽官僚制ロトン・ビュアロクラシ―となりはてて機能を喪失する。
経済まで統制しようとする日本の役所(197頁)
とくに腐朽しはてたのが行政指導。
行政指導は、整然と法律に基ずくものではない(法令との関係はまちまちである)。本質的には慣行、一種の仕来たりである。
しかし、官庁はこれによって規制を機能させ経済を統制する。~~~~~云々
そして、198頁~~このように、伝統主義のエ―トス
が、
日本経済を支配し統制している官僚制を腐朽せしめ、
日本経済をのっぴきならない所に追い込んで
にっちにもさっちにも行かなくした。
日本経済は混雑経済体制である~~~
ス―パ―鵺~~~~~
以上、如何でしたでしょうか、
上記論説全部が、いまの現在(いま)ではなく、
それも、
二十数年まえになされているとゆう、
それこそ、 いまの雪月にも
非常に身に沁みる嘆きの言論なんですよ!――――
次、
「雪月剛のブログ94」パート25 に つづきます――――
2020年5月15日
雪月 剛(ゆづきごう)
下記は拙著です。
――以上がリブログです。
長文をほんとうにありがとうございました。