一番好きな風景写真ある?

 

 一瞬のこと…この時期にだけ……

草木も全部がもえぎ色に輝き!

 

  生命の息吹を醸し出しています――

 

  残念ながら如何なる上手な写真といえども

 直に触れる

   空気の躍動感までは伝わりません!

 

  写真??… ないですねェ…………

 私の場合―――

 

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  2024年5月4日(土)

こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。

  

 今日も今朝アメーバさんより

  先月4月1日(月)、7日(日)、27日(土)、にも寄せられている

 「 リブログ 」……

 

  このところ

 連続長文となるリブログにて大変に恐縮であります

   が

 どうかよろしくお願いいたします~~~

 

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 2023年5月4日(木)

 

 2022年度

これだけはゆずれないこと

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   今日は

 2022年5月4日(水)。

 

私雪月の勝手な裁量で、先日の4月27日(水)

  に

アメーバさんより折角のリブログで寄せられていたのです

 が

出しそびれていたものです。

 

 繰り返しの記事であるとは承知をしています

 どうかご許容のほどよろしくお願いいたします。

 

それではリブログです~~~

 

_______________


   今日は

 2021年4月27日(火)。


きょうのブログは下記にある先日の7日に投稿をしている

 昨年2020年4月27日付けリブログの 

先回同様、やはり再々 投稿記事であります。


 折角のアメバさんよりのお報らせです――――

とても恐縮ではありますが、この度も、何卒よろしくお願い申し上げます。


 では ここから再びの~~~

 

    今日は4月7日(水)。

  どうぞ よろしくお願いいたします。

 
今朝いつも通りの 「 雪月 剛のブログ 」を開いたところ

 アメバさんより ただいま掲載中である〖 モラル 〗に続く内容

の昨年2020年4月、少し先となる27日付けのリブログ

 〖 モラルっていったい何!? 〗が届いていました。

 

ご好意に甘えさせていただき、

 そのまま ここに引き続きの活用をさせていただきますので――――

 

いつもほんとうにありがとうございます。

 

 それではリブログです~~~

画像 #少し前の事と思ったら〇年前だった の記事より

テーマ:
 

哲学者の言葉、何か知ってる?

 

 哲学者を述べよと言うのであれば、 なら私は―――

 

旧約聖書(ヨブ記)に登場している怪物 レヴィアタンを

 コモンウエルス(共和国、とか共同体)、及び国家に置き換え、

 

その名前より付けられたとゆう、 

 私、「 雪月 剛のブログ 」 でよく用い表現しているところの、  

 

 リヴァイアサン(1651年発刊)  を人類に送り出した世界的有名、

  イギリスの自然法哲学者と称されるトマス・ホッブス(1588年~1679年) 

をまず挙げて措きます。


 さらに、もう おひと方―――


国を正常に機能させる依法官僚制(legal bureaucracy)ではない、

 家産官僚制(disguised patrimonial bureaucracy)を蔓延(はびこ)らせてしまうと、

 

腐朽官僚制(rottenbureaucracy ) を構築してしまい、

 行き着く先は、終に国の破滅を招く、

 

 官僚栄えて国滅びる  という人類に対する警鐘警告を唱えた

  ドイツの世界的有名、政治、経済、社会科学者でもある哲学者、

マックス・ヴェ―バ―(1864年~1920年)なる先人もここに描いて措きましょう―――

 

2020年度

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雪月 剛のブログ80 日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!? 

パート11  

 

   それでは----------


 モラルって 人間って


国と国との話し合いが成り立たなくなり、 最終手段が戦争となる、

 その戦争が人類の残虐性を見せ付ける、最もな見本例となります。

 

末、どちらかに勝敗が付く。

 大昔ならば、敗者は殆ど抹殺をされるか それとも奴隷。


近代社会と称される今日では、

 勝者が敗者を裁判で裁く時代にはなったのでありますが、

 

そうなれば、敗者が一方的

 に裁かれ、悪党にされるのが当然のオチ!!

 

そして、勝者側では、相手国の敗者側兵士を沢山殺した兵士ほど

 英雄扱いとなるのは、また必然の成り行き――――


片や敗者側に加担した者は全てが悪党とされ、 

   殺人者扱い。


 だったら、勝者側〈アメリカ〉が行った日本国本土への無差別爆弾投下やら、

最近、時代の流れとともに風化の兆しが漂う、 現在(いま)のところ、 

 

 人類社会の中においては、 

唯一の、やはり 

  無差別で大量破壊兵器 「 原爆 」 を投下 》 

をされたヒロシマ、ナガサキは――――

 

  神の眼 〈 もしも、あればの話ですが---》 

より視たらどうなんでしょうか!!

 

 ドイツで行われたホロコーストも、敗者のドイツ側が、

もしも戦争勝者となっていたら、やはり、どうなっていたことで

  ありましょうか!?


歴史は、いつの時代だって変わりゃあしない!


 人間がつくった文明の一つ、映画登場の初期頃に、

チャ―ルズ・チャップリン(1889年4月~1977年12月)なる人物も、   

 

 自作映画を用いて大変に分かり易い映像表現を以って、

人類社会に対する比喩を、世に問うているのは夙(つと)に知られているところであります

 

 〈 最近の世相では、とんと聞かなくなってきてはいますが-----〉。


『 戦争で人間を沢山殺せば英雄となり、

   一般社会で人間一人でも殺そうものならば

 

 直ちに殺人者とされる、

 

  とは如何なるできごとか!? 

 

〈 1940年制作、”独裁者” 

   1947年制作、”殺人狂時代”など 〉 』


 って---------

 

モラルって いったい何!?

 

 日本国でいえば、東京裁判とされている裁判も全く同じ。

もしも、宇宙に、前述をした〖 神の眼 〗という

 未知なるものの実存があって、人類に向かって諭すとなれば、


『 人間の勝手な都合に拠って、

   裁判と銘打ってはいるが

  裁判という方便を使っているだけの代物であり、

 

   やはり勝者が敗者をただ一方的に裁く 

  「 リンチ 」 

    であれば

  〈 裁判という文字 〉 は絶対的に成り立たない。

 
   近代社会は、激しい殺戮(さつりく)の果て〈末〉に、

    〈 モラル 〉

   を発見し、

 

    その 〈 モラル 〉 を 

   < 法律の基盤 > 

     として構築しているのではなかったのか。

 
   東京裁判一つだけの例をみたって本末転倒!

     〈 モラル 〉

   の存在なんて何処にあるのか、

 

 何処を探したって何にも見当たらんぞ!

   そもそも裁判なんて銘打つのが間違っている! 

 

  妖しい、 それはマヤカシというもんだ! 』


 と説いたりするのは間違いないことでしょう。


 この勝者の理屈都合で決定させた裁判で、

    日本国のトップ < 天皇 > 

  に何の責任も与え〈取らせ〉ませんでした。

   全部部下の責任だったと転嫁してしまったのです。 》


この事実は、どのように捉えてみたって道理というか、

  自然の法則  に全く逆らったシロモノであり、

 

理屈に適ってはおりません!?

 

 ここで、


既に故人ではあられますが、法学者で社会科学者小室直樹博士について、

 一言二言、私はお断りして措きたいことがあるのです。

 

その 天皇についての論説と、

 もう一つ 元総理大臣田中角栄氏(1918年~1993年)に関しての

小室直樹博士の見識見解についてであります。


 まずは、元総理大臣田中角栄氏より―――

 

数学者で社会科学者でもあって法学者でもある

 小室直樹博士が指摘説いているように元総理大臣田中角栄氏事件裁判が、

 

明らかなる憲法違反が行われているとは確かな事象であろうと存じますが、

 しかし、その論説の仕方は捉えように拠って、

 

社会科学者小室直樹博士に、難点を指摘するお方がおられない

 とも限りません。

 

私自身も、その中の独りに入るものでもあります。


 元総理大臣、田中角栄氏事件の法的なところだけを指弾し、

国民を代表をしている総理大臣〈人間の〉としての 

 

 《 モラル 》 訴求を、

いささか損ない緩(ゆる)くなってしまっているのではありませんかと―――


 私もこればかりは合点がゆかないところなのです--------


 まだあります。 日本人種にはタブーとされている領域、 

    天皇 に関しててであります。


日本国の最も根幹に触れるお話とはなりますが―――

 人類社会において、最も重要な根幹の筈である小室直樹博士自らも論説しておられる 

 

《 モラル 》 を

 

〖 日本国法律から鑑みれば 天皇 には何の責任もない 〗 

としておられるところです。


 〈 その理由から前回の「 雪月 剛ブログ 」 内で

〖 天皇 〗に関した目次を「 黒字 」で大文字にしてあるのです 〉

    天皇についてのお話は後述とさせていただきますが------ 


日本国で誰よりも卓越した的確な数多の論説を放たれている

 小室直樹博士にしては、 これ如何なるものでありましょうや!?

小室直樹博士が我々小市民に最も説かれようとしている、 

 

「 人間として最も大切な基本について 」 

 

 が少々狂っていやしませんかと言いたくなるのです――――


昭和天皇と元総理大臣田中角栄氏への小室直樹博士解釈についてを量れば

 間違っているとまでは決め付けはしませんが、

 

人間の最も根本でなければならない 《 モラル 》 

 

 についての追及(訴求)が残念ながら、

随分と生温(なまぬる)いではないのかと思はされてしまうのです。


 田中角栄氏といえば、日本国社会で最も 《 モラル 》 が求められる厳しい立場、

日本国総理大臣に自ら望んで起っておられたのですよね――――

 

 田中角栄氏は日本国という一国の宰相であり、

権力者で支配層の地位であり、

 それは、普通の一般人の立場ではない、

 

国の指導者であり、人間としてのリーダーで、

 規範、並びに模範でもあるべき総理大臣となっておられるのですね―――

 

ですが、そんな指導者であるお立場の人が、人類のつくった、日本語でいえば

 < 「 弱肉強食 」 と 「 食物連鎖 」 という

      人類の欺瞞(ぎまん)代表の言葉 > 

の違いほど非常に難しい矛盾!? 

 

人類が持つ 『 性(さが) 』 という、どうしようもない 『  』、


 《 如何な知能を持とうとも、それが人類の限界であろう!? 

   性(さが)問題 〈 何れ後述をするつもりです 〉》 

 に陥っているお人だと私は見ているのです。


要するに、指導者としては決して外してはならない 

 《 モラル 》 

を疎かにしてしまっているお人であると私は言いたいのです。


 しかし、けれども、


小室直樹博士は、《 金権問題以上 》 に、

 人間として最も尊重をし重要視しなければならない、

そこの追及を見落としているというよりも 許してしまっておられます。


 リーダーに 「 実行力の馬力 」 さえあれば

少々の悪さ 〈 色欲、金欲  くらいは眼をつむり

 「 大目に 」 見てやれば良いではないかのスタンスにしか受け取れないのです。


残念ながら、ここに学者の悪弊〖 机上の論説 〗が窺われてしまうのです。


 田中角栄氏は54歳で1972年(昭和47年)7月7日(第64、第65代)

総理大臣になっておられます。


 その前に、1968年(昭和43年)角栄氏が、

自民党、都市政策調査会会長として発表した『 都市政策大綱 』 を 

 ベースにしたといわれる、

 

世に有名な 『 日本列島改造論 』1972年6月11日、日刊工業新聞社。

 が発刊されているのです。


以前のブログで、私は若い裡に比較的早い段階で稼いでいて

 事業に乗り出そうとしていたと申し上げています。

 

やはり世に有名な、池田内閣の 『 所得倍増計画 』 があったにしても

 田中角栄氏が総理の席に就くまでは、

そんなに大きな変動もなく まだまだ 比較的 緩やかな社会の進行でした。


 全く個人的なお話とはなるのですが、 

何故 私がそんなことを申し上げるのかと言いますと、

 

 ずーっと土地探しをしている時期と連動していたことに拠って当時の 

『 日本列島改造論 』 を思い出しますと

  腹が立ってくる所以からです。


大学にゆくのを諦めて事業への道に邁進、

 当時で、億単位のお金を稼ぎ出し備えていたのに、

角栄氏が総理になった途端、

 

 土地の値段が急騰し出し、みるみるうちに

お金の価値がなくなってゆくのを

 身を切る想いをして肌で実感をしているから所以なのです。


丁度また同じような時期、私がその当時、師と慕っていたお人の娘さん

 〈 当時、東京大学農学部教授江草周三氏助手 〉 が

新潟県の高田市というところに嫁いでいるからと、

 

 そのご主人〈当時、農林水産省〉のご実家に

師とともに訪れた経緯があるのです。


 当時は、北陸高速道路の建設がまだ緒に就いた頃で 

殆ど途切れ途切れの未完成。

 

 ですので、現在(いま)でいう旧道、従来の道路を走行をした、

とても時間の懸かる それこそ長旅をしているのです。


 当時私は、友人の関係から東京にもよく出張をしていましたし、

東京の物件も視野に入れながら、

 名古屋市を中心に事業土地の物色をしている最中にいました。


目的地への途中には、山また山、峠につぐ峠の、

 ひなびた風情の町や村を通り過ぎる連続でありました。

 

それが新潟県の市街地に入る段階を迎えるや否や、

 途端にガラリと雰囲気が変わり、

 

当時でも眼を見張ってしまうばかりの 

 衝撃の光景が眼前に広がって来たのです。

それは、都会の道路状況と殆ど違わない情景だったからです。


 否、寧ろ私が住む田舎町よりも遥かに道路状況が整備をされていて、

それには驚愕しかありませんでした。


 帰路には、富山県、石川県、福井県、

そして滋賀県に跨ったコースをとってひた走っているのですが、

 新潟県とはまるっきり異なっていた様相をいまでも忘れ得ません。

 

その地元より一国の長、総理大臣が輩出をされたなら、

 こんなにも 地元行政が違ってくるものかと

見せ付けられた思いで、

 

 当時唸ってばかりいたことを、 

こうして描いていると鮮烈に想い出してしまいます。


 おそらく、田中角栄氏の剛腕〈 あえて、剛腕と言わせていただきます! 〉

がなければできなかった特別の行政であったのかも知れませんが――――


 当時、師と一緒に新潟県を訪れていなければ

その情景を全く知らずに私は終わっていたことでしょう。


 論説だけではありませんよ! 

自分の肌身で実際に味わっていました、

 

  と当時の様子を申し上げたかったのです。


前述した〖 人間の性(さが)の問題 〗と全く同じ理由で、

 一国の指導者たる宰相ともあろうお人が、

 

こんなんで許されるのであろうか

と、

 師とともに嘆いていた 当時の私がいたのです-------------

 


   ―――パート11は以上で終わりにします。 


                     続きはパート12へと――――

 

          2020年4月27日

                    雪月 剛(ゆづきごう)           


下記は拙著の喧伝です。

 

 

 

 

 


―――以上がリブログでした。

  長文、まことにありがとうございました。