プロレスの試合見たことある?

 

 昔…々………

 

現在(いま)となっては記憶がかなり朧気(おぼろげ)で頼りないのです

が…

 

夏真っ盛り

名古屋市在の金山体育館(今はなき…)という所

プロレス興行観戦をしたことがあります。

 

肝心の試合内容はスッカリ忘却の彼方です

  が……

 

当時

冷房のない館内で大きな氷柱がたてられ…

なおかつ

酸素ボンベより酸素シューッが放出され……

 

その光景だけ

なぜか?

私の脳裏にシッカリと焼き付いて残っているのです―――

 

また

テレビの草創期と今では言われている頃

「 力道山 」

という

プロレスラーの「 空手チョップ 」

我が家の十四インチテレビ

(当時は小さい画面で白黒しかない)

胸をワクワクさせながらよく観ていたことも想い出してしまいます……

 

その世界チャンピオン

ホンの小さな凶刃(きょうじん)で逝ってしまわれました。

 

ある時

元ヤクザもんだったオジサンが呟いていたの

耳にしたことも序でに思い出すのです……

 

「 どんなに威勢を張っていてもだねェ…

人間なんて所詮弱いもんだ……

 

人間の身体なんてねェ…

豆腐とまったく同じようなもんで

ね、

 

ほんとうに脆(もろ)いもんだよ…

 

あんなに頑健だと思われていた

あの力道山だって

武器にゃあトンと敵わない……

 

   簡単に犯(や)られちゃったんだよね――― 」

 

プロレスという言葉を聞く

そんな話をつい想い出してしまう

    私です………

 

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

あなたもスタンプをGETしよう

 

2024年2月19日(月)

こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。

今日も今朝アメーバさんより寄せられている

「 リブログ 」……

 

 原文に段落行間隔らの改定を施しています… 〉

どうか

よろしくお願いいたします~~~

 

みんなの回答を見る

2023年2月19日(日)

 

マーガレット

 

 繰り返します―――

 

直木賞作家とある…

中島京子氏(東京都、1964年~)という方

1月24日(火)付ネット記事

タイトル:

安倍がつき 菅がこねし

「 戦争餅 」

何も考えずに食うがごとき態度

(中島京子)

【 岸田政権の歴史的転換にモノ申す 】
日刊ゲンダイDIGITAL
アメリカに縋りつくことしか考えていない…

(C)日刊ゲンダイ
【 リレー特別寄稿 岸田政権の歴史的転換にモノ申す 】

 

より――――
 

◇  ◇  ◇

今の日本に「 徴兵制 」

絶対にないと言い切れないこれだけの理由…

世界60カ国以上が採用
 

この十年間は――

日本が

いつでも戦争できるように法整備を整えてくる期間だった。

 

秘密保護法(2013年)、安保法制(2015年)、共謀罪(2017年)

と、

民主主義を脅かす法律を次から次へと、強行採決で決めてきた安倍政権時代

は、

そのためにあった時代だった。

 

短かった菅政権も、安倍氏の申し送り事項だったらしい…

 

学術会議の任命拒否

をして、

知や学問を時の政権に従わせる方針をあきらかにした。

 

戦争の時代に、必ず政府が知や言論を統制するように。
 

被爆地広島出身で宏池会に所属する岸田首相

は、

その出自が与えるイメージを大きく裏切って…

 

安倍がつき菅がこねし戦争餅を、何も考えずに食うがごとき態度

で、

安保三文書を「 閣議決定 」した。

 

ロシアのウクライナ侵攻を奇貨

として――

 

「 台湾有事 」を煽ることのできる

いまなら、

「 巨額の防衛費 」も「 敵基地攻撃能力 」

も、

 

市民や野党は反対できないだろうと考える人たち

の、

「 黙って進めるだけで、あなたの権力は安泰ですよ 」

 

耳元で囁く声

に…

 

深く考えずに身を任せることにしたのだろう。

 

人の意見に反対したり、リーダーは何をすべきなのか考えたりする

のは、

 

なかなかに、

めんどくさいことなんだろうから。
 

しかし、少しでも考えれ

ば、

「 敵基地攻撃能力 」を持ったり…

 

トマホークを買ったりするのではなくて…

 

「 台湾有事 」を回避するため

必死で努力すべきだという考えしか浮かばないはずだ。

 

米中が台湾を巡って対立

し、

 

戦争に発展するという段階になれば……

 

米軍基地のある日本は攻撃対象になり――

 

沿岸部にずらりと並んだ原子力発電所

は、

身の内に抱え込んだ地雷以上に危険な存在になる。

 

戦争の影響で物流が滞れば…

 

食糧の六割以上を輸入に頼る日本

は――

 

たちまち

食糧危機に陥る。

 

早晩、

餓死者が出るだろう。
 

 そんな

「 有事 」が起こってもらっては困る。

 

だから…

起こらないように、起こさないよう

に、

外交努力を重ねるしかない。

 

戦争ではなく

平和を希求する想像力が必要だ。

平和を構築するための外交努力

 アメリカ

日本に軍事的貢献を要求してくるようになった背景

には、

アメリカの国力が落ち―――

 

かつてのような

 

「 世界の警察 」役

やるのはもう嫌だ、というのがあるという。

 

日本も

もっと負担してくれよ、というわけだ。

 

日本は…

アメリカにヘソを曲げられたら国家存亡の危機とばかり

 

「 なんでもします。

 

金も人も出します。

 

敵基地攻撃しろって言われたらやります。

 

だから、

見捨てないで 」

 

と、

足に縋りついている。

 

でも…

 

恋愛でもなんでも、縋りついて

 

「 見捨てないで 」

哀願すれば見捨てられないわけではない。

 

運よく見捨てられなかったとして

も…

 

大体において…

 

都合のいい存在にしかならない。
 

都合のいい存在に甘んじているうち

に……

 

気がついたら国が焦土と化していた―――

 

なんてことになるわけにはいかない。

 

米中に自制を促

し、

東アジアの国々と連携して

 

平和を構築するための外交努力を今すぐ始める以外

に、

日本が生き残る道はない。

 

 


 

 

 

 

 

 2010年に「 小さいおうち 」で直木賞受賞

                      中島京子氏記―――

 

 

 いかがでしたでしょうか……

      雪月       

 

 

故小室直樹博士ら大先達

『 言 』

借りるまでもなく―――

 

日本国には【 民主主義擬(もど)き 】はあって

も…

 

西洋諸国のような

『 真からの民主主義 』

ありません。

 

 しかし…その西洋諸国でさえ

ロシア・ウクライナ戦争を視る限り非常に怪しいもの……

 

ましてや…

 

少し遠い日には

スターリン、ナポレオン、ヒトラー、ムッソリーニらもいましたし

    ね――― >

 

日本国はいま真さ

嘗て起きた…

 

当時

不沈船であった筈

世界中の殆どに知られた衝撃

「 タイタニック号事件

    〈 映画にもされている… 〉 」

ソックリ

【 危険水域 】

    入っている!?

 

捉えている

のは

 

独り

  私だけでありましょうか………

 

現代社会

 

既に

 新たな戦前

     なっているのかも知れない……???

   

被害者になるな・加害者になるな・傍観者(ぼうかんしゃ)、 になるな……

 

見ざる聞かざる言わざる、 になるな……

 

長い物には巻かれろ、 になるな……

 

「 よらしむべし しらしむべからず 」――になるな……

 

とは    

 

   未来の人類社会を守るための言葉???…………

 

 

 

 

キャロットオレンジ

 

『 日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!?』
新パート120
  「 雪月 剛のブログ271 」パート201

  今日は

2022年2月19日(土)。
 

前回 

「 雪月 剛のブログ270 」

 

――ラジオや映画の検閲 事前検閲という方針は貫かれた――――
 

続いています。

 

それでは~~~

画像 #日本を見ていて憂うこと の記事より

 

CIEの活動は終わらない

  CCDによる検閲は一定の段階で終了するわけです
が、
CIEの方は、これはずっと続いているんです。

占領終了も関係なく、

アメリカ文化センターなど今も存続している機関ですよ。

地方にCIE図書館をつくったり、

あるいは

アメリカの生活様式を宣伝するような映画――

「 ナトコ映画 を製作した。

子供のころ学校に簡単な映写機があって、
そういうCIEのつくった、
アメリカの繁栄の現況を伝えたり、

アメリカの文化を賛美する

ドキュメンタリーのようなものを見せられたんです
が…

 

そういうものをつくった。

   新聞だったら、
例えば

CIEは表向きには記者クラブなど廃止せよと言いながら、

実際には

既存のクラブをうまく利用したり…

新しい時代に対応させるよう

日本新聞協会なんかをつくったり…

新聞をうまく制御していた。

あるいは、
新聞労働組合は強かったんですけれど
も、

 

それを

弱体化させるために「 編集権 」は経営者にある
との
主張を貫き…

 

資本家側をバックアップして

ストを弾圧した。

ダニエル・インボデン

( アメリカ、1893年~1965年 )

という

有名な新聞課長がその先頭に立っていた。

基本的には、マッカーサー
の、
GHQの大きな方針
は、

 

初めは民主化を進め、

後から

そういう行き過ぎを是正して、

どちらかと言えば

反ソ的な方向に変え、

冷戦に対応させるという方針です
が…

 

これが

CIEを通じてメディアにどんどん入っていく。

メディア側は、

インボデンは嫌なやつだと言いながら
も…
それにすり寄って協力したりして…

それで

したたかに生きようとしたということですね。

   それから、

CIEは民間情報教育局です
から、

 

教育の現場

でも…

 

例えば

初めは右翼教師追放をやっていたんだけれど
も…

 

だんだんレッドパージに変わる。

教科書の内容なども もちろんそうですね。

基本方針

は、

大きな枠はマッカーサーや上層部が何かを決めて、

それを

その現場に伝達するのがCIEの係ですね。

テレビの登場の意味

   そういうCIEやCCDの機能
を、
メディアの研究者として見ている
と、
テレビの開局というのは非常におもしろいことだと思います。

これは

占領後間もない一九五三年に開局したのです
が、
準備段階は占領末期になされているわけです。

私なんかの子供のころ、大変まだ貧困な時代
で…

 

やっと

四国の田舎では少しずつラジオのいいものが入ってき始めた
というぐらいです

  から―――

 

テレビが営業的に成り立つかどうかという
のは、
ちょっと考えられない時代だった。

それを強引にやったのはなぜか。

最近そういう資料や研究が出始めたんだけれど
も…

 

一つは

やはりアメリカが自国の国家安全保障という観点
から、
マイクロウェーブ設置で動いたことは確かなんですよ。

とりわけCIA

防衛のためのマイクロウェーブ回線建設構想で暗躍していたわけです。

それに

テレビを乗せて、日本にもテレビを入れようとした。

つまり

 

テレビの時期尚早と思えた開局
は、
ソ連との冷戦に日本を引き入れ…

日本を冷戦最前線の空母

ないし

橋頭堡たらしめんとした
 

アメリカ

軍事的戦略があった。


それに

正力松太郎が乗ったわけです。

   正力自身――

自分の仕事がそういうCIAの戦略にかかわっていること
は、
相当意識していたはずです。


テレビの周波数を何メガサイクルにするかどうかということ
で、
NHKと正力との間で六メガ・七メガ論争というのが

 あって…

結局

アメリカ方式の六メガに決まったんです。

NHKはもう大憤慨ですよね。

NHKは七メガで営々と研究していたわけです
から、
「 売国テレビは絶対お断り! 」――占領も末期
で…

 

もう

はっきり言えるような時代になっていました――
 

と言って

反対運動を起こしたんだけれど
も、

結局

占領終了間際に正力方式に決まるんですよ。

NHKは慌ててその方式に合わせて準備して開局する。

 そのときに

先ほど言ったOSSのドノバン長官など
も、
自分の子分をCIAに残すため
に、
開局に関与していたという実証研究

 

早稲田大学の有馬哲夫教授らによってなされています。

ともかく

アメリカの長期戦略という
のは、
基本的には経済を復興させて…

日本人を豊かにして…

アメリカのよう

消費文化を楽しませる平和な国民にしようということでしょう。

これが

見事に高度成長期で成功したけれど
も…

 

その第一段階として…

占領期から高度成長期に行くステップ

として…

テレビ開局は意味があったと思うんです。

   テレビの開局

は、

当時の経済レベルから見たら

 

正力のごり押しだったと思います。

ごり押しとも言えるけれど
も…

 

結果的に見れば

それがまた

朝鮮動乱以降の経済復興の動きとも絡んでいたと思う
し…

 

日本人そのもの

イデオロギー環境の変革を促したわけですよね。

初めNHKが開始して、受信契約三百台ぐらいしかなかったとき
に――

 

少し遅れてコマーシャル

どんどん入れた広告収入だけの民放テレビNTVが発足した。

正力は街頭テレビという手

不特定多数の都市消費者を獲得し、見事に初期を切り抜けた。

  戦後経済は解放まもない50年代後半から復興
し…

 

60年代になると戦前の水準を完全に抜き去ることになります。

洗濯機、冷蔵庫に加えて白黒テレビ

“3種の神器”といわれ……

 

大衆がその購入に狂奔しました。

テレビのアンテナが林立する


 

まもなく…
 

日本の社会主義は急速に衰退します。

要するにテレビの開局というもの
は、
日本人の消費意識を変え――

 

日本を大衆消費社会にした大きなファクターである。

これによって脱イデオロギー化が進みますね。

それからテレビの普及

広告の力を大きくします。

一九七五年にテレビの広告収入が新聞を上回ります。

そのあたりから完全に、メディアの世界
では

 

広告の多寡

メディアの経営を大きく左右するようになってきている行くわけです
が、

 

やはりそういう動き

民放テレビの誕生なくしては不可能だったわけです。

テレビ開局時

推進派が時期尚早派を論破するために主張したテレビ

 

民主化を促すというか、幸せを生み出すという……
 

これはやはり
CIE的な考え方だと思うんですね。

占領から解放されると同時
に、
テレビを通じアメリカの生活様式にどっぷり浸された。

つまり

占領期にはCIEやCCDが日本人の変革を図った。

占領末期にはそれらにCIA的な戦略が加わって…

独立後

日本のアメリカ離れ防止策が練られた。

それが

テレビの急速な普及でものの見事に奏功したわけです。

  これが本当に解放だったのか。

アメリカ的な思考様式、文化が浸透して、

今も残って

抜け切れずにいるわけです。

いやアメリカニゼーション

日本人の心理の深層や行動の細部に浸透した。


一九七〇年代に一挙に進んだ
脱イデオロギー化――

消費社会、市民社会化を方向づけるものになった。

こうした視点からテレビ50年史を振り返る
と、
NHKよりも、むしろ私は日本テレビという民放

開局の意味の方が大きかったと思うんです。

   その関連で言えば

アメリカの映画もそうだし、漫画もそうですね。

占領期の『 週刊朝日 』に載った「 ブロンディ 」といった…

アメリカの生活様式を賛美したもの。

賛美というより

も、

それがそのままアメリカの姿だったんだけど。

アメリカの映画、あるいは先ほど言った子供向け

ナトコ映画。

よく言われるんだけれど
も、
そこにさりげなく登場する消費生活に飢餓に苦しむ当時の読者

 

よだれをたらす。

冷蔵庫の中身を見てたまげるわけですね。

あんな豪華な食品

アメリカではみんな日常的に使っているのか、

 

と。

そういう消費社会への夢をいろいろな形で刷り込ん
で…

 

あるいは写して…

メディア

 

結局

日本人をアメリカ好きにさせていくんですね。

 

 

 

「 雪月 剛のブログ272 」パート202へと続いて往きます―――

                                                  2022年2月19日                  
                                                          雪月 剛

 

――以上がこの度のリブログ…

    ありがとうございました