よく食べる健康食は?

 

私雪月の場合―――

 

毎朝の手作りカスピ海ヨーグルト

季節のフレッシュフルーツをイン!!

 

そして…

お昼に具だくさんお味噌汁

に……

 

そして時には

チーズを用いたお料理……

 

  夜は酢玉ねぎ入り納豆―――

(これは、あまり好みではなく…

たまには拒絶をしたりしています

  が……)

 

申し上げれば……

 

このような順序

変えられるケースを滅多に見ないという…

 

これが

    私の基本的な健康食となるのかナァ!?………

 

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2024年1月26日(金)
こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。

 

今日も今朝アメーバさんより寄せられている

「 リブログ 」……

 

〈 原文に段落行間隔らの改定を施しています… 〉

どうか

よろしくお願いいたします~~~

 

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2023年1月26日(木)

 

クリスマスローズ


前回に続き

この度も

繰り返させていただこうと存じます―――

 

雪月(ゆづき)の「 リブログ 」に入る前


直木賞作家とある…

中島京子氏(東京都、1964年~)という方

昨日24日(火)付ネット記事

 

タイトル:

安倍がつき 菅がこねし

戦争餅

何も考えずに食うがごとき態度

中島京子

【 岸田政権の歴史的転換にモノ申す 】
日刊ゲンダイDIGITAL
アメリカに縋りつくことしか考えていない…

(C)日刊ゲンダイ
【 リレー特別寄稿 岸田政権の歴史的転換にモノ申す 】
 を

見付けました。
 

日本国の実情…実態(実体)

 

短いけれど

非常に

明確に著わしておられると強く感銘を受けました

ので

 

いまの日本国

では

大変に希少で貴重な記述だと捉え…

 

甚だ勝ながら

 

ここに是非とも

引用掲載をさせていただくことにいたしました――――

 

◇  ◇  ◇

今の日本に「 徴兵制 」

絶対にないと言い切れないこれだけの理由…

世界60カ国以上が採用
 

この十年間は――

日本が

いつでも戦争できるように法整備を整えてくる期間だった。

 

秘密保護法(2013年)、安保法制(2015年)、共謀罪(2017年)

と、

民主主義を脅かす法律を次から次へと、強行採決で決めてきた安倍政権時代

は、

そのためにあった時代だった。

 

短かった菅政権も、安倍氏の申し送り事項だったらしい…

 

学術会議の任命拒否

をして、

知や学問を時の政権に従わせる方針をあきらかにした。

 

戦争の時代に、必ず政府が知や言論を統制するように。
 

被爆地広島出身で宏池会に所属する岸田首相

は、

その出自が与えるイメージを大きく裏切って…

 

安倍がつき菅がこねし戦争餅を、何も考えずに食うがごとき態度

で、

安保三文書を「 閣議決定 」した。

 

ロシアのウクライナ侵攻を奇貨

として――

 

「 台湾有事 」を煽ることのできる

いまなら、

「 巨額の防衛費 」も「 敵基地攻撃能力 」

も、

 

市民や野党は反対できないだろうと考える人たち

の、

「 黙って進めるだけで、あなたの権力は安泰ですよ 」

 

耳元で囁く声

に…

 

深く考えずに身を任せることにしたのだろう。

 

人の意見に反対したり、リーダーは何をすべきなのか考えたりする

のは、

 

なかなかに、

めんどくさいことなんだろうから。
 

しかし、少しでも考えれ

ば、

「 敵基地攻撃能力 」を持ったり…

 

トマホークを買ったりするのではなくて…

 

「 台湾有事 」を回避するため

必死で努力すべきだという考えしか浮かばないはずだ。

 

米中が台湾を巡って対立

し、

戦争に発展するという段階になれば……

 

米軍基地のある日本は攻撃対象になり――

 

沿岸部にずらりと並んだ原子力発電所

は、

身の内に抱え込んだ地雷以上に危険な存在になる。

 

戦争の影響で物流が滞れば…

 

食糧の六割以上を輸入に頼る日本

は――

 

たちまち

食糧危機に陥る。

 

早晩、

餓死者が出るだろう。
 

 そんな

「 有事 」が起こってもらっては困る。

 

だから…

起こらないように、起こさないよう

に、

外交努力を重ねるしかない。

 

戦争ではなく

平和を希求する想像力が必要だ。

平和を構築するための外交努力


 アメリカ

日本に軍事的貢献を要求してくるようになった背景

には、

アメリカの国力が落ち―――

 

かつてのような

 

「 世界の警察 」役

やるのはもう嫌だ、というのがあるという。

 

日本も

もっと負担してくれよ、というわけだ。

 

日本は…

アメリカにヘソを曲げられたら国家存亡の危機とばかり

 

「 なんでもします。

 

金も人も出します。

 

敵基地攻撃しろって言われたらやります。

 

だから、

見捨てないで 」

 

と、

足に縋りついている。

 

でも…

 

恋愛でもなんでも、縋りついて

 

「 見捨てないで 」

哀願すれば見捨てられないわけではない。

 

運よく見捨てられなかったとして

も…

 

大体において…

 

都合のいい存在にしかならない。
 

都合のいい存在に甘んじているうち

に……

 

気がついたら国が焦土と化していた―――

 

なんてことになるわけにはいかない。

 

米中に自制を促

し、

東アジアの国々と連携して

 

平和を構築するための外交努力を今すぐ始める以外

に、

日本が生き残る道はない。

 

 


 

 

 

 

 

 2010年に「 小さいおうち 」で直木賞受賞

                      中島京子氏記―――

 

 

 いかがでしょうか……

              雪月 剛

 

( 日本国にとって最も重要

「 日米地位協定 」の存在と成り立ち

  が――

 

どうしてか…

少し欠けているのではないかなと思える

のが

唯一、気がかりではありますけれど……

 

 

 

書き初めカード

 

『 日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!?』
新パート113
「 雪月 剛のブログ263 」パート193

今日は2022年1月26日(水)。

拙著『 告発――日本国民に告ぐ 』より抜粋……

 

前回ブログ 

「 出遭いと別れ 」    

 の続きです――――

画像 #人間が人間を食べる精神状態 の記事より

  では―――

 

纏足(てんそく)と護送船団方式

大昔のこと―――

中国では

小さい足の女性が美しく好まれるという風習が伝えられ…

幼少時から纏足(てんそく)をしていたそうです
  が―――

 

若い頃……

 

私は日本の税体系
が…

 

その纏足そのものの相(すがた)だ

捉えるようになっていました。

そして…

その

仕組み実態の事実の確認をしようとして行きました。

ですが…

その

当時からでも

その

事実に関心を持つ人など

書物を含み
 

私の周囲には殆どいなかった

のが

現実の本当の相(すがた)でした。

そんな社会的現象


あの当時でも

私には

大変不思議に思えてなりませんでした。

現在(いま)


当の銀行マンでさえ死語となって

 

消滅してしまったかの如くに見える

護送船団方式と呼ばれた仕組み

( 日本型奇形 )

嘗ての日本国の銀行にありました。

敗戦国の中……

 

日本国に取って

止むを得ぬ状況から生まれ出た構造…

措置であったのだと思料しています
が――

 

根本的には…

 

それも

纏足と全く同じ論法であったのだ

私は捉えています。

それは

現在(いま)も変わらず引き摺(ず)っておるもの

で…

未だ、
記憶に醒め遣(や)らぬバブル景気が起きた原因

 

も――

基因を糺(ただ)せば

 

根源は

全く同じ論理が齎(もたら)した現象

であり…

現在(いま)でも

形が歪(ゆが)んだ相(すがた)の儘(まま)

根底で活きている筈です。

幼い身体

自然の生理作用に拠って成長しようとする力

 

人が間違った方法を用い、無理に抑え込もうとすれば…

歪みを生じながら成長して行くのは

 

必然必至――

 

自明の理。

高校生時代の担任教諭浅田氏

やはり同時期

中日新聞記者加谷真二氏と同じ応答をした人がいました。

高2の時の担任

 

名古屋市所在南山大学校出身

英語担当浅田教諭といいます。

 

話しが幼少の頃と重なります
が…

 

当初

私はこの浅田教諭を大嫌いでした。

或る時季(とき)――

浅田教諭が私たち生徒に向かって

 お前たち、本当に勉強する気があるのか…

あるんだったら

俺の自宅へでも遣(や)って来い。

何時でも好い、構わんぞ。

何時でも受けて立って遣る。




揶揄(からか)うように言ったので…

私は

「 口先だけで偉そうに言ってんじゃないか、それなら確かめて遣る。

と挑みました。

然し…

 

生徒が一人だけでは

浅田教諭に筋道、恰好が附かぬと勝手に考え…

仲間を募り……

流石 午前2時、3時は避けて…

 

確か午前0時頃だった

か――

浅田教諭の言葉通りにご自宅に押し掛けたことがあります。

浅田教諭は、その時まだ起きておられ

私は嫌な顔をされるのを覚悟して

深夜訪問を決行したつもりだったのです

が…

 

あに謀(はか)らんや…

 

浅田教諭家族の大歓待を受ける顛末(てんまつ)

なってしまいました。

天才少女鈴村と闘い
私が

学年トップに起つ意志を持ったことと重なり……

これを切っ掛けに浅田教諭

私は急速に打ち解けて行き…

この機縁から

 

後年に至り加谷真二氏と語り合った

同時期――

浅田教諭からも当時の教育界の実像に接する
生の声

訊くことが出来たのです。

私の税体系に対する大きな疑問は結局の処…

 

敗戦…
 

及び

 

日本国憲法の成り立ちに突き当たったのです。

現在(いま)でこそ

メデイアで時々取り扱われるように見受けられます
が――

 

当時は

一般的に識る機会など全くありませんでした。

日本人の手に拠る日本側
〈 鈴木安蔵氏

(1904年3月3日 ~ 1983年8月7日 )

松本烝治氏

( 1877年-1954年) 

ら 草案 〉
 

草起した憲法

アメリカ側が受け容れず……

忽(たちま)ちに却下され――

( 日本側の意向もかなり取り容れられたともいいます… )

アメリカ占領軍GHQの指令に拠り

〈 ホイットニー

(1897年5月20日 ~ 1969年3月21日)

ケーデイス大佐

( 1906年3月12日 ~1996年6月18日)

 らの 草案 〉。

英文で起草されたもの

日本語に訳し換えられ

今の日本国憲法となったものであること
を――

 

私の場合は

税体系の追求から識るに至ったのです。

浅田教諭

英語が専門職の教諭でしたので確認のために訊きました。

「 先生、先生は英語専門の教師を遣っておられる
ので
日本国憲法が英語を訳したアメリカ側が創ったもの

知っていたんですか。

と訊いたら

「 識っていた。」 

答えられたので……

 先生、では何故、私たち子どもにそんな重要な教育

基本的なことを教えてくれなかったんですか。

憲法とは国の基本なんですよねえ。

学校の教師だったら絶対に教えなければならぬ

教育の基礎だったんですよね。 

と質問した処―――

「 言えなかったんだよ…

言ったらいけないことだったんだ。

いくら教師だからと言ったって

俺も

サラリーマンだからねえ。

教師遣
(や)れなくなったら家族がある

し…

生活して行けなくなっちゃうもんなあ。 」

といって

中日新聞記者加谷真二氏

全く同じ応答が返って来たのです。

後年…

 

私の個人事業を企業にする目的

全国からの大学新卒採用の募集を懸けた時期がありました。

バイトも含め、

私なりに様々な学校の、大勢の学生たちと接触…

その時の面談試験

 

必ず

日本国憲法の成り立ちについての質問を用意していました
 

 が……

私の所に限って

誰一人答えられる学生はおりませんでした。

最も重要で基本となるこの問題

について
何も識らなかったという驚きの事実を以っています。

けれども――

それは

学生たちだけに限ってではありませんでした。

一般の殆どの人たちが識らない現実

次第に判って行ったのです。

画像 #ゾッとする〇〇 の記事より


医師となった親友深田からの衝撃発言を聴く

そして―――

浅田教諭に続いて…

中日新聞記者加谷真二氏が教えてくれた

「 グアム島の真実について 」

 確かな証明をする者が偶然のこと―――

またもや

身近に出現しました。

それは深田です。

或る時季、

深田が私に言ったのです。

「 剛ちゃんよう、収入が物凄く高いバイトを今遣ってるんだぜ。
と…

 

確か深田がまだインターン……

 

今でいう

研修医の頃だったと記憶しています
が、

 

話しを切り出したのです。

その話しとは驚嘆すること

新聞記者加谷真二氏が私に教えてくれた話し

全くの一致した内容 そのものだったのです。


「 そのバイトは誰も知らない

俺たちしか出来ないバイトなんだけど…

ベトナムで戦争をしているよなあ。

そこで
戦死したアメリカ兵の死体

 

関係者の他以外、誰にも知られず

 

静かに

羽田空港に続々と運び込まれているんだ。

お前たちが見たらとても正視出来ない

バラバラになった身体だって一杯来るんだよ。

黒人が多かったなあ。


それを

ね、

縫い合わせて

 

少しでも綺麗(きれい)にする

のが

俺たちの仕事内容なんだ。

そうして…

綺麗にした遺体
を、

 

再び

羽田から飛行機に載せてアメリカ本国に送り戻すんだ。 

ずぅーっと後年になってからのこと…

報道機関ら

 

ホンの少し

僅かだけ載せられていたのは私も知っています
が…

 

 当時……

 

新聞記者加谷真二氏や浅田教諭の教えてくれたこと

 

真相真実だった

深田に拠っても報らされているのです。

昭和27年――

戦勝国GHQが日本から撤退して日本は独立した。
 


 

長い間

私たち子どもは、そう教育されており

私も

単純にそう信じ込んでいました。

だけれども…

敗戦前の大本営発表の時代に戻って

真実の報道

全く無視される事態まで

には

及んではいないようです
 

が…
 

その後、随分経ってから

の…

 

おもむろの……

お体裁程度の報道しか観ていません。

私も

加谷真二氏や深田の存在がなければ

殆ど何も識らず

通り過ぎてしまっていた処でした。


蛇の生殺し、とか…

五十歩、百歩とかの諺(ことわざ)があります。

それと

同意語のような敗戦前の報道

大して代わり映えしない報道だ

私には視えて仕方がありませんでした。


まだ々

同じような内容の話しが続いて往きます。

 

「 雪月 剛のブログ264 」 パート194 に―――

2022年1月26日
             雪月 剛

 

――以上がリブログ…

       ありがとうございました。