ビタミン不足を感じた時に食べるものは?

 

私はいま

常に自然食で管理されておりますよう

ビタミン不足などは殆ど心配がないようであります

 

   けれど………

 

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2023年12月13日(水)

こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。

 

 今日も今朝アメーバさんより寄せられている

「 リブログ 」……

 

 原文に段落行間らの改定を施しています… 〉

どうか

よろしくお願いいたします~~~

 

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2022年12月13日(火)。

サザンカ,困難に打ち克つ,人生で困難を感じたことある?

 

昔々

徳川家康の命より始まり―――

 

明治維新を経て―――

 

第二次世界大戦大敗北を経ても―――

 

< よらしむべし しらしむべからず >

 大原則に何の変わりもなし……日本!!

 

 

 

 

『 日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!?』

新パート99

  「 雪月 剛のブログ248 」パート178

 

2021年12月13日(月)。

 
加賀乙彦氏(東京、1929年~ )著、

『 悪魔のささやき 』集英社新書、2006年。

 

154頁~~~

悪魔をはびこらせる仏神礼拝社会と精神の飢餓

欲望こそ、悪魔は取り憑(つ)く――

 

よりの続き~~~

画像 #日本を見ていて憂うこと の記事より

画像 #ゾッとする〇〇お布団編 の記事より

  では――――


企業のトップから子供たちに至る

まで、

仏神礼拝の情けない国に成り下がってしまった。

 

心のなかのモラルが崩壊

し、

たくさんの業種で不正が行われ、

 

見逃されているということ

は、

誰でもだまされる危険があるということでもあります。


賞味期限の切れた肉をお惣菜に加工して売っているスーパーの店主

が、

耐震強度偽装マンションを買ってしまうかもしれない。


いい加減な建物を建てて儲けた建築会社の社長夫人

が、

振り込め詐欺にひっかかるかもしれない。


振り込め詐欺をしている連中

だって、

農薬まみれの野菜や産地偽装の牛肉を口にしているかもしれない。


そんな具合にだまし合っている

私たちを見て、

悪魔は大笑いしてるんじゃないでしょうか

 

158頁。

 

――――――――――――――

 

159頁~~~


死の「 リアル 」 を知らない子供

おかす凶悪犯罪

 

まず子供が子供を殺す、

 

あるいは

親や大人を殺すということ自体

は、

 

決して

近年に限ったことではありません。


私が犯罪学をやり始める前から、そういう事件

ずっと続いて起きています。


子供の心のなかにも内なる悪が潜んでいるわけ

で、

ふとしたきっかけでそれが呼び覚まされてしまうこと

は、

いつの時代でも当然ありえる。


ただ、

最近はキレるタイプの犯罪

増えているということは言えると思います。


子供たちの自分を抑制する力が弱っていて、すぐキレてしまう。


そして、

大人から見たらほんの些細な理由、動機とも思えない動機

殺人という最悪の行為に走ってしまう。


なぜ

すぐキレる子が増えているかという問題

ひとまず置いておき、

 

安易に殺人をおかしてしまう理由から考えていくことにしましょう。

 

160頁


最も大きな問題

は、

やはり死というものの本質

 

子供たちが知らなすぎる点にあると思います。

 

上智大学で長年、「 死の哲学 」などを講義していた

アルフォンス・デ―ケン神父

から、

 

死について教えているさまざまな国

小学生用教科書を見せていただいたことがあります。


一番よくできていた

のは、

デ―ケン神父の母国であるドイツの教科書でした。


人間は死ぬとどういう状態になり、どういうプロセスで腐敗

し、

骨になっていくか。


あなたたち子供でも突然死ぬ可能性

はあり、

それはどういう病気や事故によるのか。


死後の世界については信仰のある人とない人

とで

考え方違うけれど、

 

死はアニメで描かれるような美しいものでは絶対にありえない。


苦しみもなく天国へサーッと行けるわけでもない。


死は恐ろしく、苦しく、そして醜いものなのだ。


さらには…

 

一人の人間が死んだ

 とき――

家族をはじめ関係者がどれほど衝撃を受け、悲しむか。

 

その悲しみを癒(いや)す意味もあって

葬儀という儀式が生まれたのである------


という具合

に、

一連の死の真実が驚くほどシビアに、克明に書かれていた。


「 死の教育 」

というものを幼いころから徹底的に行っているのです。


さて我が国はどうか

というと…

 

死は残酷だから小さい子には見せてはいけないもの

とされ…

 

学校で死について教えるなんてことはありえない。


親も教えようとしない。


日本の子供たち

ドイツとは逆に…

 

徹底して

死から遠ざけられておるわけです。


しかも

核家族化が進んだ今は、祖父母と一緒に暮らさない

し、

 

じいさんばあさんも長生きでなかなか死なない。

 

実際に

死体を目にする機会は非常にまれになっています。


家族や親戚の葬儀で見たとして

も、

それは葬儀社の人間が死に化粧をほどこし整えたあと

の、

死の現実とはかけ離れたきれいな遺体です。


しばらく前

  に――

 

私の仕事場のそばにある中学校の教師

が、

学校の前で車にはねられ亡くなったことがありました。


登校時間でしたから子供たちも現場にたくさんいたけれど――

 

ほかの先生たちが大あわて

で…

 

「 見ちゃ駄目! 見ないで! 

 

すぐに教室に入りなさい 

 

追い立ててしまった。


私は、ちゃんと見せるべきだったと思います。


子供に

そんなむごいものは見せられないと反論する人も多いでしょう

が――

 

むごいからこそ…

 

子供たちが何日も悪夢にうなされようが見せなければならない。


本物の死というものはむごくて汚いものなのだということを教える…


せっかくのチャンスだったのにと思うと残念でなりません。

 

本物の死から遠ざけられている一方

で、

今の子供たちは偽物の死に取り囲まれています。


何かのアンケートで小学生

「 人間は死んでも生き返ると思うか 」  

聞いたところ――

 

半数以上がイエスと答えたそうです。


これはやはり、

よく言われるようにアニメやテレビゲームの影響なのでしょう。


そんなアンケート結果に驚いた大人たち

が…

 

あわてて

「 そうじゃないよ。人は死んだら、それはおしまいなんだよ 」


と教えたところ

 で――


死というのはそれほどたいした事件ではない…


一度死んでもリセットできるという考え

が、

心の深いところに刻まれてしまっているという気がします。

 

以上

「 雪月 剛のブログ248 」であります

 

誰もがよくよく考えて往かない

 

加賀乙彦氏が警告を発しているよう

 

嘗ての

また来た悲惨な道に戻ってしまいますよ

 

私たち雪月も強い共感を以ってここに訴えるものです―――

 

そして――――

 

つい先日の12月5日(日)、

タイトル:

 

ついには!!―― 

”卑怯者と嘘つきの国と蟷螂の斧(とうろうのおの)

「正論が通らない」国の末路”

 

投稿しています。

 

その中

に、

加賀乙彦氏の警告論説を地で行く、

 

身を切ったご自身のお身体を呈して、

 

当時の日本社会の悲惨さ

説き教えてくれている――

 

第二次世界大戦に駆り出された…

普通の一兵卒だったと自ら仰っられている…

 

あまりにも切ないお話し

引用掲載をさせていただいております

が…

 

日本民族にとって現実

非常に貴重な記録資料として――

 

【 生の現場の声 】

 

少しでも多くの方々に知って貰いたい

 ここにもう一度付記をして措くものです――――

 

では、

 

Yahoo!ニュース オリジナル 特集
(撮影:森健)

2021年12月2日(木) 17:20配信記事。

 

「 俺の死に場所はここだ 」――

覚悟を決めた真珠湾攻撃 

 

103歳の元搭乗員の証言


1941年12月8日は日本の運命を大きく変えた日。

 

アメリカに戦争を仕掛けた真珠湾攻撃。


この奇襲に…

魚雷を積んだ雷撃機で参加した103歳の男性が東京にいる。


あれからちょうど80年、

 

「 俺の死に場所はここだ 」

覚悟を決めて臨んだ戦いを振り返ってもらった。

ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部


1918(大正7)年、石川県に生まれ育った吉岡さん

18歳で横須賀海軍航空隊に入隊。


103歳、 

吉岡政光さん(撮影:森健)という方のお話し――――

 

一部より抜粋引用―――

 

1944年は千葉・木更津から「 燃料補給の飛び石状態の飛行で 」

パラオのペリリュー島まで爆撃機一機を届けた

が、

自身はセブ島経由で戻った。


もはや

日本軍の劣勢は明らかだったと振り返る。

 

理由の一つはアメリカの航空機をはじめとする戦力の急激な上昇だった。


「 零戦がわかりやすいです

が、

真珠湾までは日本の戦闘機が操縦性など世界

最もすぐれていると言われていました。

 

しかし、

半年したらアメリカはF6F

など、

もっと性能がいいのを作り出してきた。


爆撃機ではB-25を出して、早くも東京に爆撃をした

(1942年4月のドーリットル爆撃)。

 

これらの動きを見たとき、

自分でも もう勝つのは無理だろうと思いました 


日本劣勢のもう一つの理由が兵力の圧倒的な不足だ。


戦線が厳しくなり、前線で命を落とす兵士が増えていく。


航空隊では技術のある操縦士が少なくなり、

訓練も十分でない若い兵士が出ていくことになった。

 

「 各地の現場を回っていく

と、

訓練を積んだ人がほとんどいなくなっていた。


だから、技量も未熟な若い兵士が飛んでいく。

 

それで敵に落とされてしまうわけです。

 

おまけに向こうの飛行機は性能もよくなっている

のに、

こちらはエンジンの故障など補修が必要な機体ばかり。

 

10機あっても6機は損傷して動かせない。

 

そんななか残った4機で出るとしたら、どうするか。

 

それで、

だったら爆弾もって敵艦に突っ込めという

 

特攻の発想になった。

 

本当にひどい話です 

 

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1943年頃までにやめておくべきだった

 

1944年12月、吉岡さんは内地に戻る

と、

茨城にある百里原海軍航空隊に配属された。

 

飛行学生を講習する立場だった

が、

 

実際には何もしようがなかった。

 

教えるにも航空機がなく、仮にあっても燃料がなかった。


ある日は短剣を寄付しろ

という

通達あった。

 

何に使うのかと聞けば、

本土防衛のための 槍 を作るという話だった。

 

言葉を失ったという。

 

「 槍って……。

 

そんなの負けるに決まっています。

 

正直言えば、途中からずっと思っていました。

 

なんで戦争をするんだろう

 

と。


どうして国はやめてくれないのだろう

 

と。

 

私たち下っ端だって

このアメリカとの戦争には勝てないのがわかる。


なのに、

 

軍は続けようとしている。


これは日本国民が一人もいなくなるまでやるんだ、

 

日本という国を潰すつもりなんだと思いましたね 


終戦の玉音放送は、第一分隊員を集めて聞いた。

 

みんなの前で、日本は戦争に負けた、

一言話した。

 

その途端、涙がこみ上げて話ができなくなった。

 

そんな記憶が残っている。

 

戦後は大和運輸(現ヤマト運輸)でしばらく働いたのち、

海上自衛隊、

そして複写機メーカーなどに勤めた。

 

その後の日々

で、

太平洋戦争や真珠湾攻撃を振り返ることはたびたびあった。

 

奇襲攻撃という手法は別

として、

 

吉岡さんは兵士として歴史に残るあの戦争に参加したこと

そのものには誇りをもっている。

 

一方で、

 

あのような焦土となるまで戦争を続けたこと

間違いだったと考えている。


「 少なくとも1943年ごろまで

に、

手を上げて降参しておくべきだったと思います。

 

そうすればあれほどの死者を出さず、

 

優秀な軍隊も残してやめられたのではないか。


この年まで生きてみて、そう思います。


難しかったのかもしれません

が、

負け方を考えていなかったのかもしれませんね 」


語り始めてみれば5時間が経っていた。

 

ときに力が入り、

 

ときに目に涙も浮かんだ。


こんなに話したのは初めてです

 

また照れたように言う

と、

 

ちょっともう疲れたので今日は早く休みますよ

吉岡さんは笑顔を見せた。

 

吉岡氏のお話しは以上であります。

 

表面的には変わっているかのような錯覚に陥る現代日本です

 

第二次世界大戦敗戦以前

明治維新から始まった日本国の根本、根底に横たわっている

 

 

本質は

 

何も変わってはいないんですよ

 

 

一兵卒である

〈 現代社会では一小市民と言いますかね――〉

私雪月自身

強くここに訴えるものです―――

 

 

「 雪月 剛のブログ249 」パート179につづきます―――

 

     2021年12月13日

 

               雪月 剛

 

――以上がリブログ…

長文を

          まことにありがとうございました。