恐竜の映画といえば何?
そんなの、謂わずと知れたゴジラでしょう!!
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では、ゴジラは、どうしてあんなリバイアサン、
もしくはビヒーモスのような怪物〈モンスター〉になったのでしょうか!?
答え-------
それは、人類がつくった
原水爆実験の影響を諸(もろ)に被ったからです-----------
雪月 剛のブログ75
日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!? パート6
こんにちは雪月 剛(ゆづき ごう)です。
よろしくお願いいたします。
いつもと同様に、要所と思う箇所は紺色か黒色で大文字ないしは斜体文字にしておきます。
では-------------
奇妙奇天烈??
大先輩たちの不可思議!?
拙著には 既に描いてあるお話ですが、私のような一介の市井、狭義〈無名〉の人間ではあっても
何故だか不可思議なことに、 ご縁とでもいうのでしょうか、 世の中に少しは知られたお人たちが結構おられたという奇妙な経緯(いきさつ)を以っているのです。
その中、第二次世界大戦で従軍画家として出兵したことに拠って、我が祖国である筈の日本国
につくづく愛想づかしをして、
それでフランス国に帰化してしまったと聞いている絵画の世界では有名な藤田嗣治氏
(フランス名、レオナ―ド藤田) なる人物がいて、
この方は直接存じ上げませんが、その藤田氏を中心に取り巻く、
〈 パリの街中、サン=ジェルマン・デ・プレにあるカフェ・ドゥ・マゴ(1885年~) なんかで、
「 おーい、 ここだここだ! こっちにおいでよ 」 と呼ぶ、彼の世界的有名なピカソが呼んで
いたいたとゆう 〉 お仲間たち---------
そのお仲間、高田力蔵(美術年間掲載) というお人、その高田氏の展覧会に招待をされたとき、
乾杯の音頭をとった、遠目で一度の拝見だけでしたが、高田氏のご親友という当時の日本国
リ―ダ―のお一人と称されている
経済誌などでも時々見掛けていた、当時三井銀行頭取の肩書を持つ小山五郎氏なる人物も
観ています。
或いは、やはり友人だったと聞かされた(聴いたときには既に故人だった)ノ―ベル文学賞作家で有名な川端康成氏もいました。
他にも、やはり藤田画伯のお仲間内で、パリ画壇の長老となっていた里見宗之氏や角浩氏らも
『 この人たちはネ、僕の親友なんだよ 』 と、高田氏ご本人より直接の紹介を受けています。
私がまだ30代始めの頃だったでしょうか!?
また、後年に知り合った方々(抽象画の日本第一人者と称された中西夏之氏(故人)ら他) は
別として、
いまお話した皆様方は明治生まれのお人たちばかりという理由から、残念ながら、もうこの世
にはおられないお人たちです。
ですが、生前には、1900年生まれの高田氏など、かなり親しく交流をさせていただいておりました。
お会いをすれば、必ず、絵画についての語りと薫陶(くんとう)は時間も惜しまずのお話をして
いただいた想い出はあるのです。
ではありますけれども、明治時代に生まれ、様々な体験をなされていた筈にも拘わらず、
何とも不思議 〈 現在では不可解な事象であったなァと捉えるようになっている私です 〉 な
ことに
〖 日本国の成り立ち 〗らについてのお話など、 私たち(私と妻) に限っては一度として
伺ったことがないのです。
ここでのお話は割愛をしてゆくものですが、当時は、私の師とした人を介して
現役の東京大学教授やら名誉教授、助教授、広島大学教授らゝ、
高田氏と同じく、第二次世界大戦以前に生まれた皆様と親しく交流をさせていただいた時期が
ありますが、
彼ら専門の話については侃々諤々(かんかんがくがく) とは話し合っても、
やはり〖 日本国の成り立ち 〗 へのお話などに展開した経緯は、一度としてありませんでした。
別途に交流があった、洋画界の重鎮、藤本東一良氏(私の父親と同年だった) とか
東京芸大教授(前述の中西夏之氏(故人)ら)らゝでもその情況に変わりはなかったのです。
書物を知らない教師たち
以前のブログで描いた〖 ボウフラを知らない子供たち 〗 に繋がるのですが、私にも二人の
子供がいます。
現在(いま)は成人していますが、二人が小学生から中学生だったこ頃のお話となります。
私は結婚が遅かった理由から、私の同級生が教頭や校長らになっている情況であり、
当時、雪月養魚場連続襲撃事件が動機で田舎から名古屋市内の学校に転校をさせたりも
していますが、
内容的には田舎の学校も名古屋市内の学校も似たりよったりのことでした。
何を私が言いたいのか!?
嘗て私は、自分なりの勉強をしてきました。 所謂、 独学というやつです。
学校での話相手は、当然に教師たちが殆どだったのですが------
相手側は教諭、それなら当たり前であると思っている私は、自分が読んで感銘を受けた本とか、
及び雑誌の話などをしたりします。
ここで驚くべき事実に出っ喰わしているのです。
彼らは皆教職に就いている身〈職責〉なのだから、と何の躊躇(ちゅうちょ)衒(てら)いもなく話して
いた私の話が、
彼、彼女らには殆ど通じていないことが分ったのです。
私が話す、本の題名すらも全くと言って良いほど識らなかったのです。
〈 娘の高校は県内屈指の進学校で流石、先生方はよく勉強をされていたことを
知りましたが-----〉
対話相手が教諭だからと捉えた私の勝手な判断ミスだったのかも知れません。
教師なら知っていて当然だ、とばかり思い込んでいた私が愚かだったんですね----------
一般的に知られる、日本経済新聞を始め、週刊ダイヤモンド、週刊東洋経済、プレジデント、
当時では「商業界」、ニュ―ズウィ―クらゝゝ-----
私は、決して大袈裟にお話をしているのではないのです、全部が本当のお話なんです。
後述しますが、嘗て私が若い頃、田舎町で一軒しかなかった書店主から
『 雪月さんのような本を注文して下さる人はこの町には殆どおりませんよ 』
と、当時、真さかの信じられない言葉を聞かされたときのことが蘇(よみがえ)ってしまいましたが、
『 エ―ッ、これッて現実―、 いまでもなのか―!?』 ッて衝撃しかありませんでした。
このような過程を以って 『 ボウフラすらも知らない教育が施されて
いる現実を私に
伝えてくれた少年少女たちに感謝あるのみ 』
と私はお話をするのです。
もしも、この私の記事を知られて 『 俺は、そんなことくらい知ってるぞ、莫迦にするない 』
と、私に怒りを向ける人は まだまだ救われる、本当に幸せな人たちなのです。
それほどに 『 ボウフラさえ知らないままの子供たちがいる 』 という
現実は実(げ)に怖ろしきことであるのです。
約6600万年前に地上から恐竜が消えたというお話よりも-----
人類は、たった今のお話!!
一事が万事を指していることが覗えてくるからに他ならない所以
だからです。
拙著 『告発―日本国民に告ぐ』 を出版した切っ掛けに拠って、小室直樹というお人を識りました。
また、それに繋がッて〈肖(あやか)って〉鬼塚英昭というお人、そして大先達、松浦総三氏というお人に
書物を通じて出合ってゆきました。
残念ながら、皆様、現在(いま)は故人であられるのですが-------------
最近では、英文学者、荒木博之氏(1924年~1999年12月)とか、
環境史家と称される石弘之氏(1940年~)らもおられることを識りました。
私は、田舎町に住んでいた割には前述したような、 社会にもよく識られる様々なお人たち
に
お目に掛かる機会に何故か恵まれていました。
ですが、世間的有名とは裏腹に、私が心底得心のできるお話を戴けるお人は
残念ながらおられなかった、とは既にお話をしていることです。
それが運命なのか、それとも宿命だったのか!?
死の淵を覗かなければならなくなった私は、
そうこうしている裡に
自分が本を描かなければならない羽目を迎えたのです。
そこで、でき上がった拙著に、ドイツの哲学者フィヒテ著の 『 ドイツ国民に告ぐ 』 に因(ちな)んで、
それを捩(もじ)って甚だ私の勝手な解釈より、タイトルを 『 告発―日本国民に告ぐ 』 と
銘打ったのです。
この命懸けの拙著が、故人ではあっても、〈 目から鱗(うろこ)を落としてくれる 〉
小室直樹博士を呼び寄せてくれる源となった分けです。
そしてその源泉が、鬼塚英昭氏や松浦総三氏らを導き、それに繋がる人々、その中の一員に
前述をしている
元京都大学教授、故会田雄次氏がおられたということらも、彼らの書物に拠って改めて識ること
ができたのです。
私の能力ではとても無理ですが、皆様、膨大な資料の中から世の中(人類社会)の真相真実を
探し出しておられるのです。
何物にも代え難き、その尊い彼らの財産を、書物という形の魂を
通し、もしくは託し、
届けておられるのだと捉え、
現在(いま)私は、心より感謝あるのみ------------------
追伸
ウイルスは謂わずもがな、既に人類は、パンドラの箱を開けてしまっているのです。
その中身はというと、冒頭で申し上げた、真さに リバイアサンに育て挙げた
元恐竜ゴジラが示している 原水爆の 《 核 》 !!
-------パート6は以上です。
パート7に続きます-----
2020年4月17日
雪月 剛(ゆづきごう)
下記は拙著です