こんにちは雪月 剛(ゆづき ごう)です。

 

 ノンフイクションシリ―ズ⑳です。
 よろしくお願いいたします。

 

いつもと同様、要所と思う箇所は紺色か黒色で大文字ないしは斜体文字にしておきます。

 

   では-------------


  公安調査官とは


私を友人だと言ってくれている、愛知県議会議員先生の量(はか)らいで、

先生の知り合いだという〖 公安調査庁の若い公安調査官 〗 を一人紹介されています。

 

  依頼代理人弁護士なし、 たった独り切りでの、 私が愛知県警察提訴。


その果て、実質玄関払い (門前払い?) を受けた一審の名古屋地方裁判所法廷で、

 県議会議員先生と一緒に、私側の人間 (養魚場連続襲撃事件、間接的被害者のひとり) を 一人伴っての傍聴席に着き、 一部始終を見ていた人!


一審裁判の結果が、即、玄関払いの如くとなったのを見届けたと思いきや、 それを境に 、その人 (公安調査官) も他の人らと全く同じように疎遠となってゆきました。


 暫く経った後、友人という県議会議員先生の話によると

『 その後、 彼も出世してねェ―、 東京に赴任して行ったよ 』 と聞かされています。


  唯一、それでも、警察への苦情申し出書作りへの協力をした公安調査官だった


彼に相談を持ち掛けた、数多(あまた) に渡る案件! があった裡(うち) の、 

 それこそ唯一、 公安調査官が私たちに残してくれたのが、愛知県公安委員会室へ提出予定の〖 警察への苦情申し出書作りへの協力でした 〗。


私が独自作成した書類 (苦情申し出書、下書き等) を、彼が監修し、

『 シッカリと書き込んであるとはよく分りますが、 その作りでは長過ぎますよ。

  私たち調査官がですねェ、 総理に上げる時など1枚か2枚に纏(まと)め挙げて、即 見られるようにするんですよ。
 
 
そうしないと小泉総理みたいなセッカチな首相にでも当たったならば、全く見て貰えないままで、即シュレッダ―行き、まず間違いなしなんですよ 


と彼の助言の下(もと)、 傍聴席で一緒した私側の人物も加わり、相互に検討をしながらの苦情申し出書作成に当たっているのです。

 
 このような、経緯過程を経た上での 「 愛知県警察本部、愛知県公安委員会室 」 への警察苦情申し出書提出であったのですが、


既に前述しましたところの、結審 (玄関払いの!?) を言い渡された、

 名古屋地方裁判所、一審、裁判傍聴席を最後に 「彼、公安調査官」 の姿を見ることはそれっきり---------------

 そんな事実、 経緯があったことを、 確(しか)とここに 申し添え措(お)くものです。


 これが、日本国敗戦以前の〖 特高 (特別高等警察) 〗と称された、その相(すがた)を変えた公安調査官の実態

 それは、何も、愛知県公安委員会室だけに限ってだけではありませんでした。


1952年(昭和27年7月)設立と聞く、  法務省外局、公安調査庁  でさえも現実に、こんな有り呈だったのです。

 決して一公安調査官だけの問題ではないと捉えます。


何故なら、彼は公安調査庁に合格して官僚となった分けですし、その上さらに、そんな有り様であっても 彼は昇進していっているのですから-------- 


 一事が万事の格言もあるではないですか!!


またも、 地下におられる筈の小室直樹博士らの嘆き声が聞こえて来ます


 日本国中、何もかも全部! 


つまりは、 誰も彼もが他人事であり、それが現在(いま)の日本社会の実態で 仕組み構造でもあるということなのです。

  
                 
-------以上⑳です。

                                ㉑に続きます------


   2019年11月27日

                              雪月 剛(ゆづき ごう)