市役所前の桜は散ってしまったのか。


今年の冬は例年になく豪雪で春は遠いと思っていたけど、春一番とともにあっという間に汗ばむ気候になったから余計に春が短く感じるね。


さて、早紀先生が「辛い思いをしたのかな」って言ってたって(笑)


平田のやろう~・・・・


俺、「春が嫌い」って言ったんだね。


教師って因果な商売だと自分は思うんだ。

教師は、自分の担任した子や部活動の子。教科担当で受け持つクラスの子もすべての生徒に対して真剣にぶつからなくてはならない。叱ったり、褒めたり、進路の悩みや体育祭のときなんか一緒に興奮したり、そういったことを共有して、一年、一年成長していく過程を見ていると情というか、気持ち、感情が必要以上に入り込むもんなんだ。

そして高校の3年間は人としても一番成長する、そんな多感で輝かしい時代を生きる子達に対していつも真剣勝負でいなくてはならないと思っていた。

でも、教師は、3年しか同じ子を見れないんだよ。いつしか感情を機械的に切り替えている自分を知ったとき、とても悲しく思えたんだ。

卒業させる自分。新入生を迎える自分。それぞれの自分がどちらも嘘のように思えたんだ。


「春が嫌い」・・・やっぱり嫌いかもしれないな。


「なごり雪」を餞にしているのは、辛く、悲しいっていう思いからではないんだよ。『名残惜しむ気持ちは雪となって、自然と消え。高校を卒業する君は以前より成長して羽ばたくんだよ」という気持ちを伝えたくてだったんだ。


なんだか気恥ずかしいくらいの熱い文章になってしまったけど、梓先生!五月病だなんて弱気になるにはまだまだ修行が足りないぞ!俺のようになりたいだなんて情けないことを言ってる場合じゃないぞ!


でも、こちらも、新しい業務に配属になっばかりで少々五月病になりかけていたところです。君からの手紙に対してこうやって返事を書くことで実は、自分に気合を入れているように感じます。


お盆には実家に帰省したいと思います。

そのときには必ず連絡するよ。そして、いろいろ、いっぱい話を聞きます。それに平田や熊谷、上村先生が何をしゃべったか教えてください。とても気になります・・・・


それでは、また。


追伸:これから梅雨の季節になります。体調管理も社会人の義務です。十分ご注意ください。

ご返事、ありがとうございました。


あれほど待ち遠しいと思っていた桜の開花ですが、満開のニュースが流れた後、瞬く間に散り始めて連休の終わりとともに葉桜となってしまいました。


市役所前の通りは、まるでピンク色のじゅうたんを敷いたようです。


先生、平田先生を覚えていますか?同期だったそうですね。今、同職しているんですよ!学年部も一緒で色々指導してもらってます。先生のことも色々話してくれました。


連休中に平田先生に連れられて葛疋川の河川敷に花見に行ってきました。小学校以来だったのでとても感激しました。少し小雨がぱらつくあいにくの天気だったので人もそれほど出ていなくて、ゆっくり土手を歩きながら春を満喫してきました。霞んだ風情がまた趣があっていい感じでした。


ふと、先生が春を嫌いだといっていたことを思い出しました。「どうしてですか?」と聞いたとき「・・・」何も答えてくれませんでしたね。

私は、春が大好きです。高校に入学したときや大学に入ったとき。そして、教師として勤めたとき、私の気持ちは例えようのない喜びと期待で空を飛んでる気持ちになりました。全てが新鮮で初めてのことに驚き、やる気がドンドン湧き出してくる高揚感がたまらなく心地よく感じます。


桜も大好きです。


このことを平田先生に話して聞いてみました。「春が嫌いだということ聞いたことありますか?」と。


「なごり雪って歌知ってる?野上先生は、卒業生の餞に必ずこの詩を贈っていたの。『どうして?』って聞いたことがあったけど正確には答えてくれなかったわ。ただ、学生時代にこの詩を『ある人に教えてもらったんだ』って言ってたの。何か辛い別れがあったのかしら・・・」


なごり雪は別れの曲ですよね?春は別れの季節だからですか?


私たちの卒業のときの最後の学級通信にもこの詩が餞としてありましたね。今、その学級通信を見ていました。

先生のこと、平田先生や熊谷先生、それに上村指導主事にいろいろ聞きました。そこには、私が知っている先生と全く違う先生がいます。私が知らない先生を知って嬉しく思ったり、今のようにこころが苦しくなるほど不思議に思うことがあります。


先生は先生であって、どちらもそのままかもしれません。でも、私は、私は・・・先生に憧れて教師を目指し、教師になって、今、先生のようになりたいと強く思って・・・


先生に会いたいです。会って話をしたい・・・いっぱい、いっぱい話をしたい。


すみません。五月病かもしれません。


また、お手紙書きます。


どうか気分を害さないでください。 お体にお気をつけて。



手紙、ありがとう。


こちらの桜は、今まさに咲きはじめというところです。

今年は、なんとなく暖かくなってくるという感じで、はっきりと春を感じることが出来なかったのですが、やはり桜の芽吹きとともに下からぬくもりを感じるというか、土が土色になって、緑が緑色、空が空色になるように春が春としてやって来たと感じます。


さて、君から最初に教員になりたいと聞いたのは高二の秋だったかな?


そのとき、正直、無理だろうと思ってた。実際、「もっと別な道もあるんじゃないか。」というようなことを話したと記憶している。


勉強が出来るとか、人に何かを伝えることが上手、或いはリーダーシップがあるとか、こういったごく一般的に言われる教師の適性をはかる指標に疑問があったし、とても純真で透明な君に職業としての教師について話し、説明することをためらっていた。

また、教員採用試験を突破するのは並大抵のことではなく、バブル崩壊後に受験した自分がそのことを一番知っていたので、なおさら君の希望に対して水を差すようなことを言ってしまったんだ。


そして、最後に君から「やっぱり教師になります」と聞いたのが、3年前。そのとき大学を入り直していたことも知りました。

今、あのとき、高二のときの真剣な君の思いを分かってあげてればと後悔しています。


研修センターのうどんの話しやセンターの傍を通る海沿いの県道。君が覚えていたことにびっくりしています。そして赴任した高校が僕の母校になったなんて・・・

用務員の柴やんや購買の品川さん。それに理科実習助手(実習教諭?)のお蝶婦人、それに多分女バスの藤原先生はまだいるんじゃないかなぁ?ブルーシート敷いて花見したといっていたのは、藤原先生じゃないのかな?


教科は化学と聞いたけど、授業で実験はちゃんとやってるのか?進学校だから自分も高校のとき実験らしいものをした記憶がない。

君がなぜ教師になりたいとここまで思っていたか、その理由を聞いたことはないが、化学を選択したということは、少なくとも座学で興味はわかなかったと思う。

教材研究をしっかりして実験を導入にした授業をできる教師になってほしい。

板書なんか滅茶苦茶でもいいんだよ!僕の板書も最悪だったろう?(笑)教科書を開いて授業もあまりしてなかったし・・・


しかしながら今の学校現場は、そうもいかないんだろうなぁ。初任者研修も僕らの頃とは違うんだろうなぁ。

僕らの頃は、初任でも教師として一定の責任と権限??尊重されていたように思う。

自分の考えややり方は、よほどのことがない限り他の先輩教員に侵害はされなかった。もちろんアドバイスやときにお叱りも受けたけど、教師としての根っこの部分については個人の考えを尊重されていたように思う。

だから、自信を持ってぶつかっていくといいよ。緊張は僕もかなりしたから(笑)


三年前の手紙も今回も本当にびっくりしました。でも、それ以上にうれしいです。


今は、教師を辞めてしまった身なのでアドバイスらしいことを君に話することができないけど、これからもずっと応援しています。


あまり無理をせず、マイペースでがんばったください。それでは、また。




ずいぶん暖かくなしましたが、お変わりありませんか?


先週の木曜日から初任者研修が始まりました。

時間に余裕を持って家を出たんですが、まだまだ車の運転が慣れなくて、怖くて相当時間をかけてしまいました。

研修初日は、殆どが今後一年間に及ぶ研修日程と内容の説明で最後に教育次長の講演があり、終始、プレッシャーをかけられているようで、なんだか自信がなくなりました。


そうそう、美味しいって聞いてたうどん、食べましたよ!なかなかでした。研修中隣だった人と一緒にお昼をとったんですが、その人は日替わり定食をだったんですが、それも美味しそうでした。今度は日替わり頼んでみます。


それから、帰りは海沿いの道を通ってきましたよ。小雨が降ってて、風もあったので波が高くてちょっとがっかりでしたが、ロケーションは想像より良かったです。これから気候も良くなるでしょうから本当に楽しみです。


学校はまだまだ慣れません。教育実習とはまるっきり違いますね。回りの先生方はすごく親切で気を使ってもらってるなぁって思うんですが、場面、場面で厳しさを感じます。

子供たちはすんごく明るくて、色々話しかけてくれるし、勇気とエネルギーを貰ってるって感じです。


クラス担任ではないんですけど、学年部付けになったので時々出張などで担任が不在になるクラスのHRに行ったりしますが、かなり緊張します。そんな時、あの頃の先生を思い出します。先生も最初は緊張したんですか?

自分の授業は・・・やっぱり緊張してしまい、やるべきことの半分も進めません。毎日、毎晩、授業のイメージや板書の仕方、授業のねらいを確認して、準備万端にしていくんですけど、10分、15分でハチャメチャになってしまいます。


もうすぐ連休ですね。そちらは桜は咲いてきましたか?こっちは、校舎南棟駐輪場脇の桜のつぼみがずいぶん赤くなってきました。

先輩の先生が、昔は職員がこの桜の下で土曜日の授業が終わった後、ブルーシートを敷いてドンチャン騒ぎの花見をしていたそうです。先生が生徒の時分でしょうか?


なんだか、取り留めのない内容になってしまいしましたが、また手紙を書きます。


お体には十分お気をつけて、それではまた。



免許の更新に行ってきました。19の時に免許を取って以来だったのですが、(今、住んでいるところは学生時代にいたところ)改築されたばかりらしく、とてもきれいだし、案内表示も分かりやすく合理的に各種手続きが進んで、本当に感動ものでした。

そして、職員の対応もすごく親切且つ適切。前回地元で更新したときも、その前も対応はぞんざい。安協への入会を断わると露骨に嫌な顔をされたり、講習時間を質問したとき顎で柱の掲示を見ろっていう様な対応をされたりと絶対忘れられない記憶としてインプットされていたから、今日は本当に感動しました。

しかしながら、この県だからだろうか???誇りに思う我が郷里秋○県の免許センターは、今も昔のままなのだろうか???19のときの今の県の古かった建物のときの職員の対応の記憶は残念ながらない。だから昔から今日の様だったのか判別できないが・・・とにかくすごく良い気持ちで講習も受けれたし、安全運転に心掛けようって思いました。


さて、もうひとつ、更新が終わってから半年振りの古本屋へ。

この古本屋、土日に開店してたり、してなかったりと気まぐれな営業をしているので普段なかなかいけないんです。平日の今日は大丈夫だろうと行ってみました。ところが・・・臨時休業。しかも五月末まで。

「はぁ~!?」

午前中に良い気分になったのが、あっというまにどん引き。

時計も12時を回って腹は空いてくるし、かなりイライラ。

とにかく飯と思って学生時代に来たことのあった喫茶店へ入り、気を静めることとしました。

入るときは何も感じなかったのですが、メニューを見て「はっっ」自分の記憶に自信はないけど、あの頃、十数年前と同じのような気がした。

店の中を見回しても同じだと思う・・・。マスターも・・・。

この喫茶店には、同じ大学に唯一同じ高校から入った友達から連れられて何度か来ていたところで、特に何がうまいとか特徴的な印象はなかった。でも不思議な感情、懐かしい。

メニューを見ながらあの頃「何食べてたんだっけ・・・?」

店員がやさしく催促の眼差しで「決まりしだいお呼びください。」

自分の後輩だろうか?たぶん人文か教育の院生だろう。

もう少し記憶と相談しながら決めたかったけど、「ハンバーグランチを!」


やっぱり、うまいってわけではないなぁ(笑)


セットのコーヒーを飲みながら考えていた。

学生時代、十代から二十代の前半、俗に言う青春時代にこの地で6年も過ごしたのに絶対に忘れられないという思い出が殆どない。

1、2年のときはミニバイクレースに熱中して週末はサーキット、ウイークデーはバイトと殆ど学校には行かなかった。当然のようにこの間の単位は未修得。3、4年のときは取りこぼした単位取得のため必死に学校通い。結局、学制の過渡期、学科改変の煽りを食う形で留年。

全ては自分で招いたこととはいえ、閉塞感が強く残っている。

でも、言い訳かもしれないが、後悔という観念はない。好きなレースを2年間全うし、そこそこ結果も残したし、3、4、5、6年と実質四年の通学で卒業。今の学生には想像できないだろうが、仕送りも殆どゼロ。バイトの収入で生活もしていた。お金はいつでもギリギリでひもじいかぎりだったけど、このとき培った金銭感覚は社会人になった今、とても役立っていると思う。

大学というところは、入学の期が同じという同期と卒研(ゼミ)が同じという同期の二種類ある。通常は入学期とゼミ期は同じなのだが、自分は二世代飛んでいるので同期が倍になる。学は大してないが人については得したなぁなんても思う。

こんなことを思い返しながらのちょっと長めの昼食でした。


店を出て家に帰るとき、懐かしついでに学生時代に通っていた道を通ることにした。

ここ数年、ずいぶん国道も整備され市街地を通っていた国道はバイパス化が進んでいる。だから今日は旧国道を通ることにした。

離散会で来た温泉街、研究室の仲間と来た釣堀の回りのハナミズキ。もうすぐ開花しそう。

花見に来ていた城廻には提灯が廻らされ数店の屋台も出ていた。

こっちに来て5年目。「学生時代に行ったところに連れて行って」と妻にも言われていたが、いつでも行けると思うとついつい機会を逃している。やはり生活をしていると懐かしいという感覚はなくなるのだろう。


もう少し暖かくなって、桜も咲く頃妻を連れて今日来た道をドライブにでも行こうと思う。

誕生日はとうに過ぎて、いよいよあせってきました。


明日、免許の更新に行ってきます。

受付が8時半から9時。自宅から1時間半は見ないといけないから、遅くても7時には出なくては!


今までは、誕生日を過ぎてから更新に行くことはなかったのに・・・仕事が変わって時間に融通がまったく利かない。


また、仕事の話というか、口説きというか・・・うちの課の人間は、滅多なことでは有給をとらない、いや、取れない。一般課員は他の課と同じようにルーチン業務が殆どなのだが、業務が管理業務なのでさまざまなトラブルの対処やその日完結の業務より継続的に物事を追っかけなくてはならないことが多く、なかなか休みを取れないのが現実。

加えて、一昨年から管理業務担当の人員削減に伴って一人当たりの負荷が増すばかり・・・

業務の標準化を進めて、課内のさまざまな仕事を誰でも出来るように人員配置を計画的に変更して、どの業務もサポートしあえるようにしても、今、自分がやっている仕事以外に覚えようとなかなかしてくれない。

一度覚えた仕事をやっている方が楽なのだろう。結果的に自ら担当者しか出来ない専門の仕事を作っているあり様。

今の課で全ての業務を一通り出来るのが自分だけ。みんなが一通りの業務を出来るようになれば、必要なときに有給を取ることも可能なのに・・・


この思いは、入社してからずっと感じていて昨年から実際にその作戦、人員配置を計画的・定期的に変更しようとしたんです。見事失敗。しっかし古参の社員は言うことを聞かない。まぁ自分の上にボンクラ部所長がいるからだけど、そいつが良いと言えば配置替えをした次の日には元に戻っているということの繰り返し。

いずれにしても明日は免許の更新。たぶん、午前中で終了だろうけど半年振りに大学時代行きつけの古本屋によってゆっくり古書を眺めてこようと思います。


仕事の引継ぎ?当然ボンクラ部所長に全部押し付けてきました。明日は会議もあるし、まぁざまぁみろっとグー


今日仕事が終わった後、自宅へ帰るコールをしようと思ったらメール着信のマーク。


かつての教え子からのメールで5月の連休の予定を確認するものだった。

その子は体育大を出た後、整体の専門学校に入り直しして、去年の秋、見事、地元に開業させて頑張り屋です。年賀状には、固定客も何人かついて順調という近況ももらっていたのです。

メールの内容は、連休に帰省したとき、私が持っているトレーニング機器(実家にある)を貸し出してくれないかというもの。

もちろん返信は『喜んでOK!久しぶりに飲もう!!連休の予定が決まり次第また連絡する』


さて、徒然ですが、現在、自分の携帯アドレスには11件の登録しかありません。(内訳は自宅と妻の携帯、両方の実家と両方の姉弟2人、部門長、草野球の監督4人、おじさん。)

先ほどの教え子も登録には入ってません。

転職のため実家を離れるとき、望郷の一掃と自分の決心を確実にするため登録していたアドレスを全て消去したのです。また、こちらに来てからは、努めて友人を作らないようにしてきました。

理由は、『一定の実績を残して絶対に地元に帰る』という信念からです。

傍から見れば矛盾を感じるかと思いますが、今いる土地で甘んじず、かといって地元に頼らずの考えからなのです。

今でも自分は秋田の人間です。職場では標準語ですが(イントネーションはかなり訛ってると自覚はしてるが)、でも、プライベート、妻と買い物やどこかに行ったときなどは、かまわず秋田弁で話します。考え方も生活のリズムも極力秋田にいるようにしています。

ちょっと話がそれましたが、このように自分から地元の友人、知人に電話をすることはこの4年間ありませんでした。それでも転出当初は方々の友人、知人から心配や激励の電話が来ていたのです。それも年を追うごとに減ってきて、今では殆どかかってきません。メールも同様です。

でも、でもです。ここで言いたい徒然は、3人。今でも定期的に連絡をしてくれる友人が3人いるのです。

自分はいろいろな場面、テレビや小説、雑誌などで親友という言葉を見聞きしますが、5年前まで親友と自分が思っていた人は実は親友ではなくて、今、この3人なんだなぁと思います。

自分の勝手な決心でこちらからは連絡も取らないのに、ことある毎に連絡をくれ、知らせていないのに実家に帰省しているとヒョッコリ訪ねてきてくれたりと・・・

現在は携帯電話やネット、メールと連絡のやり取りは本当に便利です。地球の表と裏でもリアルタイムで情報のやり取りが出来る。でも、人と人とのつながりは反比例するように希薄になっていると思います。

自分が親友と思っていた人は、いつも一緒に行動をし、常にいろいろな話題を共有していました。しかし、この人たちは転出後、一番先に連絡が来なくなっていったのです。


携帯のアドレスに3人の親友の番号は入れません。でもピンク色のちっちゃいアドレス帳を常に持ち歩くようにしています。その中に3人の番号メアドだけ書いてあります。そして、今は、こちらからもことある毎に連絡をしています。ちゃんと連絡を取ろうとして連絡を取っているのです。「携帯」その名のとおり簡単に、思いつきで連絡を取り合うのではなく、必要として連絡を取る。

このピンクのアドレス帳に一人、また一人と互いに必要な『親友』が増えるように自分を一生懸命磨いていこうと思います。

最近月曜が憂鬱。


自慢することでもないが、朝、仕事に行くのを嫌だと思うことがない。でも、最近はかなり億劫になっている。


理由はいろいろあるが、全ては自分の置かれている立場が中途半端なところからきている。

業務内容だけ取れば、やり甲斐をもてるのだろうが、体制的にピンとくるものがない。


今日は、午前11時から30分、午後は3時から1時間と4時から2時間半の計3回会議があった。午前と4時からの会議は自部門の会議だったのでまぁ、しょうが無いとしても、3時の会議は、営業部、企画品証、製造部合同の新商品会議。出席者は全ての関係部所長である。しかし、自分とこの部所は部所長と自分の二人が出席している。


うちの会社は部所長職(普通の会社で言う次長と課長の中間的立場)は殆どの業務(ルーチン)から離れ事務的な仕事に終始している。自分も業務的には年々減ってきてはいるが、やはりその日にこなさなくてはならない仕事をいくつか抱えている。

うちの部所長は昨年現場から昇格してきた人間なのでその補佐的にというのなら理解できるのだが、補佐どころではすまない、まったくのトンチンカン部所長なのです。

まず、「ほう・れん・そう」という概念がまったくない。また、ある時は、こちらが他部所と折衝をしながら処理している仕事について状況もつかまないで途中から他部所の言うなりに事を運んで点数稼ぎをしてみたり。課内で発生した事故(クレーム)については、担当者に大甘の処分をして株を上げようとし、最悪、同じ担当者が同じ事故を発生させるに至ったり。まぁ、現場が長かったということで部門長も間に入り、その都度、自分と部門長とで善後策を部下および部所長に通達していたのだけれども、全社的な会議内容が下に伝わらないという事実については、先のように会議に二人出席というヘンテコな裁定が降りることとなったのです。


そんなこんなで今日も都合4時間もの間離籍していた結果、自分の机の未処理箱には山ほど書類が積まれ挙句、自分の決済待ちの書類の催促付箋がPCにヒラヒラ貼られている始末・・・部下は日頃の残業抑制指導の甲斐あって一人も居らず・・・シコシコ残務を処理して先ほど帰宅と相成りました。


明日、免許の更新もしなくてはならないし休もうかなぁ・・・マジで

さて、ブログを立ち上げて何を書こうか思い悩む中、出だしで支離滅裂になってしまいましたが、

ありました。書きたいこと。

今日の徒然ではなく先日の徒然です。


4月3日からうちの会社も新年度を迎え、今年は例年になくおとなし目の人事異動でしたが、それでも新入社員が9名入社しました。

全社員が出席しての入社式。今年の新入社員代表の挨拶。「わたしは、大学を卒業するときに一番最初に学位を頂き(主席だったということらしい)・・・○○コンクールでは最優秀賞を頂き(設計デザインらしい)・・・」会場内は、にわかにザワつき出し、私も隣に座る部下に「何だコイツは!?」と声をかけてしまいました。

とうとう挨拶の全部が彼の学生時代の実績発表となって終わったのでした。

その後の新人オリエンテーリングでは、住宅手当が安いと総務部人事担当常務に対して食って掛かったり、各種手当についてことごとくクレームをつけていました。

まぁ、「住宅手当は確かに安いなぁ」、「通勤手当も実状に合わせてほしいなぁ」と思い当たることは自分にもあるけれど、しかし今の若い子はかくも自己主張がすごいとは・・・

うちの会社も成果主義の人事査定に変更して3年目。大スピーカーの新人君の人格は疑いつつ「どれほどやれるものかお手並み拝見」と変な期待をして見ていました。

別部所の課長からは「どう思う」と聞かれもしましたが、「品格は猿以下。が、大風呂敷を広げるからには、やることはやるんじゃないんですか?俺も○○課長もそうでしょう?」


しかし、4月5日付で大スピーカー新人は退職。実働2日。社内の評価は「あ、やっぱり」。全社的には間違いなく安堵の雰囲気でした。ただ一人、採用担当とうなった課長さんは当然のように元気がなかったけれど。

自分はというと、かなり残念。スピーカー新人との関わりをほんとに期待していたんですけど・・・


今日は誕生日。30うん才になった。


記念というわけでは決してないが、自分を見つめ、家族や今まで、そしてこれからの人とのつながりを見つめるためにこのブログをはじめてみようと思う。


さて、「じゃあ何から語ろうか」と考えると特別何もないもんだなぁあせる


まずは自分についてからか・・・


生まれは、秋○県の旧大○市。今は、実家から200km程離れた同じ東北に居住。家族は妻と二人。妻とは高校からの付き合いで結婚十年目。仕事は・・・普通のサラリーマン。転職して5年目。(このブログの殆どが仕事の愚痴になるような気がする・・・・・・・・・)妻も4年前に転職して幼○園教諭。(こちらもブログにしたら結構話題が豊富でいいのではと思う)

えぇぇ、困った。後は、趣味は・・・・ない。草野球4チームに所属。内3チームでは一応レギュラー??。ポジションはサード、レフト、ピッチャー。会社のチームではエースになっている。

後は、バイク。でも今は乗ってない。今でもバイクの月刊誌は定期購読もしてるし、地元のバイク屋に預けたままの愛車に乗ろうと思えば乗れるのだが・・・・最近思うことは、バイク=ツーリングという普通の人の感覚が自分にはなくて、バイク=レースという思いが強い。学生の時分、ミニバイクレースや草レースに没頭していたからなのかもれない。最近発表になったホンダの100cc4ストレーサーを真剣に購入したいと思っている。


いやぁ全然脈絡がないのでこれでいったん終了。

今後はテーマ毎に書き綴っていこうと思う。