我々にとっての神は、

まるで池の鯉に餌を与える存在なのかもしれない。

為政者である政治家がよく

自分の庭に鯉を放ち、

市民であるような鯉に、

手を叩き、

鯉を呼び寄せ餌を与えるがごときに、

我々は、生かされているのだ。

鯉の滝登りと、云いますが。

某、鯉の居る池がある美術館で、手を叩き餌を与えた時に感じた感想です。

まるで、我々は、金魚鉢の金魚ごとき存在なのだ。餌を与えられなければ、死へと向かう。