先日、さきちゃんと話していて

 

「大切な人の人生との関わり方」について

 

考えました。

 

 

 

このテーマはヘビーなので

 

参考程度に聞いて欲しいですが

 

私はこう考えているよって話です。

 

 

 

大切な人の人生をどう捉えるのか?

 

が自分の人生にも大きく影響を与えます。

 

 

 

例えばパートナー

 

例えば親

 

例えば子供

 

例えば親友

 

 

 

彼らの人生に何が起きてもいいと許せる?

 

 

 

豊かであること

 

幸せであること

 

健康であること

 

自由であること

 

人と同じであること

 

 

 

私たちは

 

そうあることが「良いこと」と思っている。

 

むしろ、「そうあらなければならない」と思っているけれど

 

 

 

貧しくなること

 

病気になること

 

不自由になること

 

人と違うこと

 

それってダメなことなの?

 

 

 

 

 

私も以前は

 

大切な人だからこそ

 

「幸せでなければいけない」

 

「うまくいっていなければいけない」

 

と見張って、どうにかしようとして

 

自分が責任を背負って

 

誰かの存在が自分の人生に影を落としていたけれど

 

 

 

それって、お互いに苦しくて。

 

 

 

私がただ大切な人の傷つく顔

 

苦しい顔を見たくなかっただけでした。

 

 

 

私が気分悪くなるから

 

「幸せでいてください!」と思っていたし

 

 

 

しかも、その幸せの基準も

 

社会が決めたものに当てはめようとして

 

 

 

貧しいことはダメなこと

 

病気になることはダメなこと

 

不自由になることはダメなこと

 

人と違うことはダメなこと

 

ってジャッジしていました。

 

 

 

相手のことを思っている風で

 

結局は自分がジャッジ(思い込み)に怯えていたということです。

 

 

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そして、そのジャッジは

 

自分の人生にも適用されるので

 

 

 

私の人生も

 

貧しくならないように

 

病気にならないように

 

不自由にならないように

 

人と違わないように

 

 

 

見張って、もがいて

 

1人で苦しんでいました。

本当に一人芝居。コントですよ。

 

 

 

全部全部、私の中のジャッジの問題。

 

 

 

それで勝手に誰かを不幸な人にして

 

自分を不幸な人にして・・・

 

騒いでいたのです。

 

 

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でもさ、今の私は

 

貧しいことも

 

病気になっても

 

不自由になっても

 

人と違っても

 

 

 

不幸とは違うのだと知りました。

 

ダメなことではなかったのです。

 

 

 

例え、死んでしまっても、です。

 

 

 

80歳まで生きることがいいことって

 

そんな基準を持つことで

 

見えなくなる大切なことがないだろうか。

 

 

 

長く生きることがいいことではない。

 

健康であることがいいことではない。

 

 

 

本当の意味で

 

「どうあってもいい」

 

 

 

相手にも自分にも。

 

その人の人生なんだから

 

どんな状態もオッケー。

 

自由に選んでいいし、どう在ってもいいのです。

 

 

 

もちろん、大切な人が苦しんでいると

 

私の心も苦しいし

 

笑っていると、私の心も嬉しい。

 

 

 

そんなの当たり前ですよ。

 

 

 

だからって

 

無理して笑って欲しいわけじゃないわけで

 

私のために窮屈な人生を送って欲しいはずなんてないでしょう。

 

 

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私自身が

 

どうあってもジャッジされたくないのと同じで

 

 

 

貧しくなっても

 

病気になっても

 

不自由になっても

 

人と違っても

 

 

 

死んでしまっても

 

 

 

「かわいそう」なんて

 

思われたくないのと同じで

 

 

 

「何とかしないといけない存在」だと

 

思われたくないのと同じで

 

 

 

相手のことも同じように見ています。

 

「どうあってもいい」

 

「何を選んでもいい」

 

 

 

魂レベルでは

 

すべてがただの経験だから。

 

 

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人間の私は

 

大切な人が笑っていると嬉しいし

 

幸せだと嬉しいよ。

 

 

 

でも、全部受け止めるよ。

 

 

 

そう思って生きています。

 

受け止める覚悟ができたからこそ

 

コントロールを手放せました。

 

 

 

コントロールしたいのは

 

受け止められない恐怖だったんですね。

 

 

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結局、誰かを可哀想だと思っている間は

 

自分のことを可哀想だと思っていたし

 

自分をひたすらジャッジしていたのです。

 

 

 

まずは、自分に「どう在ってもいい」を許してみて。

 

 

 

自分も相手も本当は

 

到底縛ることなんてできないぐらい

 

大きくて無限の存在でした。

 

 

 

今日は旦那さんと一日共にします。

 

 

 

明日は、新居の契約の日。

 

私の人生にまた新たな経験が増えます。

 

ただそれだけのこと。

 

 

 

寒いので風邪引かないようにしましょー♡

 

 

 

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