こちらは道中着。
こちらは訪問着。
訪問着に合わせる帯。
40万くらいして月賦で支払ったとのこと、、
これからの子どもたちの卒業式入学式、大学生になる甥っ子たちの結婚式、そして夫の会社のパーティーなんかでも、たくさん着ようと思います。
さすが、上品でハイセンスなおばさんらしく、すごく素敵なものばかりで…
なんですが、センスの良い人って、往々にして人にもセンスを求めるものなのですよね
そして、時としてそれが過剰になったりする。
後から「あなたのうちには、100均の茶碗は似合わない!もっと家に見合う皿を買いなさい」とLINEが。
たしかに私は100均の皿ばかりだったけど、
夫も見栄っ張りでうるさいので、引っ越しのとき、私なりに吟味して、100均の皿は捨ててきたのです。
おばさんに出した茶碗は、美濃吉だったか何だったか分からないけど、とりあえず100均ではなく、センスない私なりに考えて買ったお茶碗だったんだけども…?
だから、何て返していいか分からずにそのままにしていると、
「次回あなたの家に行くときは、私は自分用の茶碗を持って行くので、気にしなくていい。私用にはナントカの茶器を持ってくから、あなたには、せめて季節のお菓子と、懐紙を用意してもらいたい」と来た。
季節のお菓子?
懐紙?
そんなん知らんがな
分からなすぎるので連絡したら、
👩🏻🦳「あなたはいかにも男子のお母さんって感じなのよ。子どもが男子だからよね、それは。しっかりお作法習えばね、饅頭ぽーんって人に投げるように出したりなんかしなくなるわよ」
おばさんが来たとき、近所の評判の饅頭を渡した、その渡し方のことを言っているようで。
投げるように出したつもりはないんだけども…?
👩🏻「いえ、おばさん。私は男子産んだからではなくて、元からこういう人間です。何も、変わってません」
👩🏻🦳「とにかくよ、茶道学べば、その所作が全部間違っていることがよく分かる。一生ものよ。やっときなさいよ、ムダにならないわ」
と、熱く語る。
センスがいい(と思われる)とか、
マナーがいい(と思われる)とか、私、これまでの人生、一度もそこを目指そうと思ったことがなかったんですよね。
でも、それがなぜなのか分かりました。
もともと興味がないのはもちろんですが、多分、センスやマナーを学んでしっかり身につけてしまえば、人に対する基準値も、どうしても上がってしまうからなんだろうなと。
もちろん上がらない人もいますが、やっぱり学べば学ぶほど、人の所作の粗に、気づくと思うんですよ。
そもそもそこに価値をおいていないというのもそうだし、そういうフィルターで人を見たくないというのがまずある。
饅頭ぽーん、よいじゃないですか?
お茶会じゃないんだから。
身内なんだから。
と、私は思うのですけどね。
でも、そうやって思っている限り、それ以上の成長もないのは確かなことでもある。
実に悩ましい。
とにかくこの着物をいただいてしまった以上、着付けと茶道からは逃れられないのだと悟りました